ツイートやブログから書き手の人間性を分析する研究はこれまでにいくつも行われており、現代では『書き言葉からその人を知ることは可能』と考えられている。有名なのは、アメリカのテキサス大学の心理学者 James W. Pennebaker (ジェームズ・W.・ペネベーカ) 氏。「統計は嘘をつかない」と、20年かけて意味論を考慮しながら構文を分析し、文章や会話から書き手/話し手の性格を知ることのできるテキスト分析ソフト (Linguistic Inquiry and Word Count: LIWC) を開発した。このソフトは、心理学界における「感情辞書」のようなもの。
① 本気でスペイン語を学びたい。➡︎ 身につくまでは日本語をシャットアウトする。それくらい確固とした強い意志を持っていたから。
② もう後悔をしたくなかったから。➡︎ 高校生活を振り返れば、家族との時間が全くと言って良いほど取れなかった。私が常に外にいたから。平日は毎日始発で家を出て、帰宅は夜。土日や休暇は全て試合と遠征。家族とゆっくりと過ごせたのは、テニスと勉強三昧の3年間を終えた後。卒業式の翌日からビザ発給を待つまでの「数週間」のみ。バルセロナに渡って来て、最初の数ヶ月はカタルーニャ人のおばあちゃんが1人で住む家にホームステイをしていたのだが、1週間目に、早すぎるホームシックがやってきた。14歳の頃、カナダのプリンスエドワード島に初めて短期留学をした時以来の何とも言えない『孤独感』。しかも今回は、終わりが未定の留学。...私は人生最大レベルの後悔をした。「もっと家族と会話をしておけば良かった」と。家にいる時も携帯をずっと触っていた自分がありえなかった。
私なら "Nos separamos porque su manera de pensar era muy diferente a la mía." とか "...era muy diferente a mi manera de ser." と、"valores" を使わずに表現する。
意味は「彼女の考え方 (在り方) は僕のとすごく違っていたから別れた。」となる。
…しっくりこない。
「心」という言葉の翻訳の難しさと似ている。
確かに『価値観』は『考え方』の類語かもしれないが、私たちは多くの場合「何を大切と考えているか (優先度)」もしくは「価値を見据えた物事の捉え方」と解釈する。だから "manera de pensar (考え方)" や "manera de ser (在り方)" は、日本語で理解している『価値観』とリンクしない。ほとんど意味は同じであるが『考え方』=『どこに/何に価値を置くか』ではないから。
② 社会的要因 ➡︎「周りと同じことをすると安心」は、一種の文化心理である。20歳〜24歳。このあたりから知らぬ間に日本社会のエスカレーターに乗ってしまい、年齢が26歳、30歳…と増すごとに、降りづらくなる。衆目を意識し、リスクを恐れ、出せたはずの勇気も消えてしまう。そして目の前の現実に不満を漏らす。自らが選んだ道であるのに。