日本とスペイン、日本とイタリア、どちらの国と比べても圧倒的に日本が好きだ。
そう思う要素は日に日に増える一方だが、これまでの海外生活の中で1つだけ「西洋の方が良い」と感じることがある。
それは、年齢の概念。
「今、歳はいくつ?」
この質問を日本でされるのと、こちらでされるのとでは何かが違う。日本ではこの質問の答えを聞いた瞬間から何かが変わる。…話し手と聞き手、両者の中で自動的にカテゴリーが生まれる。
年下・タメ (同い年)・年上
日本人は、相手が1歳でも年下だった場合、自分の位の方がやや上に。相手が同い年だと、仲間意識を感じる。相手が年上だと、言葉遣いだけでなく、心まで少しへりくだってしまう。
これまでになかったはずの距離が生まれることもある。お互いに。
…
スペインやイタリアでは何も変わらない。
私が年下であろうが年上であろうが、相手の態度・言葉遣い・顔色、何も変わらない。敬語を使うこともないから、1秒前と同じ距離で会話が続けられる。
だからきっと、自分が自分で居やすいのだろう。
日本には2種類の「尊敬」が存在する。
① 年齢に関係なく憧れる尊敬 (尊重)
② 年齢の上下での尊敬 (謙遜)
前者はどこの国にも存在するが、後者の方が色濃く、空気化している国は少ない。1歳下なだけで、1歳上なだけで、言葉遣いが変わる、珍しい風習。
なぜ、ここまでハッキリと線引きをするのか。
それは、年齢が日本社会における重要な概念の1つになっているからだ。
しかし、時にこれは「縛り」と化す。
4歳なのに上手く話せないの?
14歳で留学に行くの?
17歳でまだ将来の夢がないの?
20歳でまだ大学入ってないの?
24歳で学部を変える?
35歳なのに音楽で食べて行こうと?
40歳なのに転職?年収はたった〇〇?
50歳なのに新しい恋人ができた?
60歳なのに新しい言語を学び始めるの?
70歳で世界一周旅行?
「で」と「なのに」
この言葉の裏には社会が形成した年齢の縛りが隠れている。
で: まるで世間 (常識) からズレているかのよう
なのに: まるでその行動が無駄になるかのよう
スペインやイタリアでは、大学に入学する年齢も卒業する年齢もバラバラで、同級生の歳が10以上開いていても全く驚かない。バルセロナ大学では、60-65歳以上の方が授業を受けていることもよくある。
建築を専攻していたけど、哲学が本気でしたくなった、と19歳から始めた学部を24歳で変更する人もいる。この選択が就職で不利になることはない。
籍を入れない事実婚が多いせいなのか、40歳後半〜70歳近くになっても「新恋人」ができる人が多い。が、『え、その年で?』みたいな反応をする人は日本ほどいない。
【日本の競争心】
海外に住んでいると、良くも悪くも日本の「競争心」を忘れてしまう。
世界が国際競争を繰り広げている中、
日本は『内より外』を比べ過ぎてはないか?
争いを好まない国民性。
その蓋を開けてみれば経歴や歳で争っているような、ベクトルが他国とは逆方向を向いているような、そんな印象を受ける。
『どこでどのくらいの期間△△を学んだ』より『何歳で△△をしたか』
『何がしたいか』より『企業/ブランドの知名度』
『どんな素質を持っているか』より『新卒かどうか』
スペイン人やイタリア人は、何に対して「競争心」を持っているのだろう。こちらにきて6年近くなるのに、思い浮かばない。
【どう生きたいか】
日本に帰国するたび、私にこう聞いてくる人たちがいる。
「将来何になるの?」
スペインやイタリアでは、答えに職業がくる質問の仕方はあまりされない。
「将来何がしたいの?」
「どんな生き方をしたい?」
西洋の思想では外ではなく内に重きを置いているのか、ただ単に聞き方が違うだけなのか。
「何になるの?」って。小さい、狭い。もう既存している枠に収まらないといけない感じ。
どれだけ上手に収まりきれるか
じゃなくて、
どれだけ個性がはみ出ているか
だと思ってるんだけどな。
…そうとは言えず、少し質問に沿って『〇〇になりたいっていう夢はなくて、幸せな家庭を持てたらそれで。』と答えている。
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