スペインの本屋さんや、バルセロナ大学哲学部の図書館で何度か「IKIGAI」という本を読んだことがある。どれも著者はスペイン人だった。
スペイン語で生き甲斐は、
"la razón de vivir" = 生きる理由
"la razón de ser" = 〜である理由
と、訳される。つまりは
生きるのに値する価値
この一言を読んだだけで感動する外国人も多い。
そして本の書き出しには、もれなく次の図が載っている。(日本語はさっき付け足したもの。)
日本語の IKIGAI を理解するのに役立つとされているこの図。
これを見てどう思っただろう?
私は初めて見た時「肝心なアレがないじゃん」と直感的に思った。
…
『他者の幸せ』は?
【〇〇甲斐の意味】
・努力に値する何かが得られる
・〜する上での心の支え
・〜する意味、理由、根拠
・時間をかけてしたことに意味を見いだせる
【〇〇甲斐があると感じる場面】
・頑張って料理を作った甲斐がある。
→ 食べた人が喜んでくれた
・これまで勉強してきた甲斐がある。
→ 自分はもちろん成果を喜んでくれている誰かがいる
・ブログは書き甲斐がある。
→ 役に立てる、誰かの楽しみになっている、読んでくれている人がいる
・暑い夏も練習してきた甲斐がある。
→ 努力が報われた
・努力の甲斐あって社長になった。
→ 自分の頑張りには意味があった
・働き甲斐がある仕事に就きたい。
→ 誰かに喜んでもらえて自分も楽しい
・言語はとても教え甲斐がある。
→ 興味を持ってくれている人がいる
・スペイン語は勉強し甲斐がある。
→ 役に立つ
・掃除した甲斐がある。
→ 褒められた、綺麗さに自分が満足
・言ってみた甲斐があった。
→ 何かが望み通りになった
・節約した甲斐がある。
→ 努力のおかげで何かが手に入った
私は、現代の日本人が使う『〇〇甲斐がある』という言葉には、多くの場合『他者の幸せ』が関係していると考える。
その『他者の幸せ』は、
自分の趣味でも、社会のニーズでも、お金が稼げることでもない。
それなら、IKIGAI図のどこにいれるのがふさわしいだろう?「愛」と置き換えれるのか?
あれが示すように、
自分に利益があるから生き甲斐を感じるのか、
世界のニーズに生き甲斐を感じるのか、
…いやなんか違う。
そもそも図に表せれるわけがない。
自分の限られた命、時間を削ってでも、見たい笑顔
喜ばせたい人のために惜しむことのない努力
幸せと共に大きくなる守るべき存在
自分の経験が誰かの役に立てば…思う願い
目標を達成できた時の喜び
生きていて良かったと思える心
ありがとう、の一言で吹き飛んだ疲れ
無くなって初めて気付かされた生きる意味
このように日本語のIKIGAIは、
毎日の些細な小さな喜びや、
幸せから感じられる生きる意味であって、
「自分」の幸せと直接的には繋がっていないことも。
…
あの「IKIGAI図」は、二通りの見方ができる。
中心から外へ行くのか
取り囲む環境から核へせまるのか
…本来の概念に、色々な要素がつけたされて、その国ごとの解釈が生まれ、それに感動している気もするが、
正解はない。
「朝目覚める理由こそが生き甲斐」と言う人もいる。
「生きてて良かったと思う瞬間だ」と思う人もいる。
「ちょっと嬉しいことがあった時」と笑う人もいる。
無意識と意識の間に存在するこの「理由」のために、今日も私たちは何かを頑張ったのだろう。そして、明日からも頑張っていくのだろう。それは何かに対する愛なのだろう。
脳科学者である茂木健一郎氏が2018年5月に英語で論考した『IKIGAI』という本が30ヶ国以上で出版されてから、最近また IKIGAI ブームが到来している。
翻訳された文字に収まらない、
文字から溢れ出る、
魅力いっぱいの生きた日本哲学。
生き甲斐はこれまで生きてきた意味なのか、
これから生きる意味なのか、
はたまた過去と未来を繋ぐ「現在」なのか。
〜今日のつぶやき〜
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