「時間が合えば」「機会があれば」
果たして…
時間と機会は作るものなのか。はたまた待つものなのか。
【〇〇があれば】
言語を問わず、日常でこの2フレーズを使う時は、
・時間が合えば…
・機会があれば…
だいたい遠回しに何かを断っている。「行けたら行くわ」の、行かない確率が高いのと似ている。
私の前向き度は、
「行けたら行くわ」0%
「時間が合えば」20%
「機会があれば」50%
食事、会う約束、仕事、
資格取得、学校、旅行
スケジュールが詰まっていたとしても、会いたければ、一緒に仕事がしたければ、空いている日時を複数提示する。それが難しくても、どうにか必ず時間を作る。お金も無かったら、作る。いずれも「できない」の理由にはなり得ない。
機会も、自ら作るものだと考える。誰かとの約束も、会社との契約も。自分から動けば「待っている間」に、数本取れる。
相手から『ちょっと都合がつきそうにない』と言われたら、前向きに考えてもらえていないのだと判断する。『ちょっとその日は都合がつきそうにないけど…〇〇日はどう?』と言ってもらえたら、その日に合わせられるように予定調整を試みる。そして、実現させる。
【機会と備え】
しかし、機会に限っては、時に待つ方が良いこともある。
『待つ』より、『機会に向けて備える』でありたいと思う。チャンスがやってきた時に準備万端でいられるように。何においても言えることだが、準備が不十分であれば、相応しいレベルに達していなければ、せっかく機会が舞い込んで来ても、あっという間に自分の元から離れていってしまう。
【機会は平等にやってくるか】
私は平等にやってくると考える。例えば、100人が全員同じように努力をして、自ら行動を起こせば、機会は全員に平等にやってくるだろう。
何もない部屋の中でボーッとしていたら機会は得られない。しかし、パソコンが一台あれば話は変わる。
パソコンがある時点で、それはチャンス。そのチャンスをどう生かして、次なる機会に繋げるか。
この、チャンスを繋げる箇所に個人差がある。だから「機会は平等にやってこない」と言う人がいるが、実はそうではない。
パソコンはないが、自転車を持っている人。
仕事はないが、誰からも愛される性格の人。
英語は話せないが、常に健康な人。
高学歴だが、人脈がない人。
お金はないが、時間はある人。
お金はあるが、娯楽の時間がゼロな人。
チャンスはあちこちに散らばっている。
気づくか気づかないか。
掴めるか掴めないか。
使うか使わないか。
【スペインと日本の機会の数】
「海外の方がチャンスが多そう。」「日本にいてもやりたいことがない。とりあえず海外に行けば見つかるだろう。」という類いの言葉を私はよく聞く。
だが、機会の数は、日本と同じである。
「スペイン」に来て変わるのは、言語・文化・習慣と、自分が『外国人』として見られるようになることくらいで、思い描くほど華やかな特別な空間が広がっているわけではない。
『成功』や『幸せ』は、場所を選ばない。
日本で人から好かれる人は、スペインでも多くの人から信頼を得る。日本でひたむきに努力をしてきた人は、スペインでも頑張れる。
ただひとつ、「日本にいる時のままではいけない」「意識的に変えなければならない」と思うのは、『自分から動く力』。今、スペインにいる人は自分から動かなければ何も始まらないという言葉の本意を知っているだろう。
【時間=命】
80歳まで生きるとすれば、どれくらいの時間が残っているか。
70万800時間
今日からあと5年で命が終わるとすれば、
残り4万3800時間
時間 = 命。『時間をかける = 命をかけて捧げる』くらいの気持ちで、2021年も毎日大事に過ごしていきたい。
いつか、この限られた残りの時間を「使いたい人」と「使いたいこと」に1秒でも多くかけられるように。時に苦しい勉強、仕事、自粛生活、みんなそれぞれ頑張ろう。
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