700本目は「哲学」について。スペイン語の脳ではなく、日本語の脳で考え、言葉にしてみる『哲学的な10の質問』⬇︎
Q1. 人間の本質は善?悪?
善悪の基準や、人間の理性、善悪を判断する人の立場を考慮すると、答えるのが非常に難しい質問だからここでは「性善説」と「性悪説」のどちらを正しいと感じるか、を書く。
この場合、人間の本質は「悪」だと思う。そう考える主な3つの理由は、
(a) 道徳的に正しいこと、気遣い、思いやり、同情、共感は、経験と努力によって身につき、他者との関わりを通して磨いてゆくものだから。
(b) 人間は、自分の利益を求めるのが自然な生き物である。中には、その利益より、他者の幸せを優先する人がいるが、彼らは生まれながらにその判断力を持っているわけではない。これまでの経験を通して学んだ感情から、他者にとっての善を第一に考え、自らの利益を一致させられているから。
(c) 小さな子供が良い例。ごく自然に欲しいものを手にする。誰かのおもちゃを取ろうとしたり、噓をついたり。それを諭して、正しい道へ引っ張って行ってあげるのは、明らかに後天的な教育であるから。
性善説と性悪説は、視点が真逆なだけで、最終的なゴール (言っていること) は同じである。「善」を自己の中に見つけるか、自己の外の世界に見つけるか。
Q2. 正義 (人道に適っている正しいこと) は存在する?
トロッコ問題が分かりやすい例。「正義」も「平等」も存在しない。
大好きな人の1つの命
会ったこともない100人の100の命
どちらかを選び、救うなら?
私は一瞬も迷うことなく前者を選ぶ。
男女平等・生活保護・誰かの命を故意に奪った人へ部屋や食事を提供する刑務所…
どれも真の意味で「平等」ではない。「平等」がこの世界にどう存在しえるのか、私はまだ分からない。なぜ、平等であるべきなのか。どう、平等であれるのか。真の「平等」とは。
Q3. 死後の世界は存在する?
死は、次の「生」への待機/準備期間なのか。人間の想像をはるかに超える長さを持つ、本当の「生」の中のひとつのイベントに過ぎないのか。…知り得ないが、死後の世界は必ず存在すると思う。
Q4. 夢を叶えるのに「限界」は存在する?
私が例えば「アメリカの大統領になる」という夢を持ったら、この夢には限界がある。100%無理と言えよう。でも、この「アメリカの大統領になる」は私の夢になりえない。だから夢に対する限界はあるようで、実はない。個人が抱く『夢』は、それぞれの興味と関心から生まれる。それゆえ努力を重ねれば手が届く範囲内にあることが多い。
Q5. 神は存在する?
人類が考えられる「神」は、この宇宙の中の、ものすごく小さな存在なのだと思う。宗教も神様も、結局は『心の拠り所』。その存在が自分を支えてくれると感じるのであれば、それぞれが好きに、優劣をつけることなく自由に信じたいものを信じれば良い。でも、武力や暴力の使用を容認する思想や、その派のトップにいる神は、絶対におかしい。
Q6. 運命は存在する?
道で20セントを拾った時は「偶然」、人との出会いは「運命」と感じる。なぜだろう。
・20セント
・あの人
何が違うのだろう。
2021年1月26日午後3時48分に「アラゴ通り」の「233番地前」を歩いていなかったら出会えていなかったコイン。
2014年春にあの学校へ入学していなければ出会うことがなかったあの人。
2017年夏にあの場所へ足を運んでいなければ出会うことがなかったあの人たち。
2018年1月10日にこのブログを始めていなければ一度もお互いの存在を知ることなく今日も普通に生きていた私たち。
生まれるのがもう100年早かったら、遅かったら、かすりさえしていない人生たち。
『出会えて良かった』という気持ちが大きくなるほど、その出会いを偶然ではなく、必然と捉え、心に刻みたいのだと思う。一種の愛が「運命」を確かなものにしているのかな。
Q7. 愛とは?
自らの在り方の道しるべのようなもの。お互いの世界をさらに色づかせるもの。惜しみなく与えたくなる気持ち。
「愛」という漢字から派生するいくつかの動詞の中で、意味的に最も好きなのは「愛でる」。
Q8. 哲学は何のためになる?
一言で言うと、無知の知を自覚する学問。哲学に触れたことのない人生は、2D。哲学の面白さに気づいた人生は、3D。
哲学者たちの思考回路は、人一倍ユニークで、どんなテーマについても興味を持って楽しく深く対話を行える。
『哲学をして何の役に立つ?』という質問はナンセンス。浅すぎる。考えるのが好きな人のためのもの。直接的な利を求める人には不向きであろう。
Q9. 自分自身を知ることは可能なのか?
"Nada más lejano que uno mismo" (この世で最も遠い存在は、自分自身) という格言があるように、自分自身を知るのは容易なことではないらしい。
自分の好きな…食べ物、季節、色、ブランド、スポーツ、言葉、国、学問、動物、タイプを理解しているだけでは「自分自身を知っている」とは言えない。
『この人は自分自身をよく理解している人だな』と客観的に感じる相手は、
・抱く感情や、思考 (特にネガティブなもの) を上手くコントロールしている
・いつも楽しそう、幸せそう
楽天主義者であるから「幸せそう」。悲観主義者であるから「楽しくなさそう」というわけではない。もし、物事をネガティブに捉えてしまう性格を改善したいのであれば、プラス思考の人たちと多く関わるのが良い。もし、それをマイナスに捉えていないのであれば、今のまま在り続ければ良いと思う。
「自分自身を知る方法」は、たくさんある。その中でも、私は、いつもそばにいてくれている友達や仲間を見る方法が最も好き。『類は友を呼ぶ』という言葉通り、気の合う者同士には、共通点がある。気づいていないかもしれないけど、自分もその要素を持っている。近くにいる人たちは、自分を写す鏡である。優しさ、正直さ、誠実さ、真面目さ、不真面目さ、面白さ、まっすぐさ、熱さ、適当さ、雑さ、冷たさ…。
Q10. 生きる意味とは?
「生」の区切りに達する日、その意味を心から語れるように。自分を大切に思ってくれる人たちの命が重みを増すように。
最近、道を歩いている時、あと一秒早く一歩を踏み出していたら、間違いなく命を落としていた出来事があった。少し薄暗くなった夕方の時間帯、見たことがないほど速いスピードの電動キックボードが歩道を左から右へ横断した。
その瞬間、真っ先に頭を過ぎったのは「危ない!」ではなく「まだ死ねない」だった。もし今、家族や好きな人たちに何も言えないまま、任されている仕事も放置したまま、いきなりこの世界から姿を消したら、多くの人を悲しませたり、困らせたりする。「自分が幸せにすべき人たちに」やり残したことがない状態で、この人生の最終日を迎えたいと思った。
その時、「生きる意味」が分かった気がした。
【〇〇観】
25歳は、いろんな〇〇観について口を開いた。
人生観、価値観、世界観、仕事観、恋愛観。
前回、600記事目の最後には『お金の価値観』について書いたから、今回は、おとといカタルーニャ広場で日向ぼっこをしながら考えた『子供とお金』について。
ある晴れた冬の日、ベンチに座ってのんびり話をした。その途中、私は可愛い可愛い赤ちゃんのお父さんとお母さん (36歳) に『将来、この子に兄弟は考えてるの?』と聞いた。
すると、二人とも首を横に振った。
「子育ては大変だし、何よりお金がかかる」と。
(え…!こんなに可愛いのに…。)
そして、自分だったらどうだろう…と考えた。将来、旦那さんと『子供をもう1人持つか』の相談をする時、
仕事の大変さ
子育ての大変さ
生活の大変さ
金銭的な大変さ
が「子供は1人で良い」の理由にならないと思った。先日書いた下の記事の考え方と似ているが、お金も時間的な余裕も、作れるものだから。…何より、「あんなに可愛い子がもう1人生まれてきてくれること」に勝る『マイナスな理由』が思いつかない。ものすごく可愛い…。
子育ての大変さは、自分だけでカバーできなければ夫婦で協力する。それでも難しい場合は、家族の協力を得る。お金も同じで、二人で働けば良い。職種は問わない。どうにでもお金は作れる。もう1人可愛い我が子が増えるなら、喜んで一生懸命働く。
子育てを「大変」と感じない自信がある。
…
…
結婚相手とは、ここの価値観も一致している必要があるんだな、と学んだ。この2人は、ここもぴったり合っているんだな、と感心した。
【蛇足】
会員制のブログの記事数もカウントすると…ちょうど800本目だった。
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