日本人の「沈黙」文化は西洋で長所になりうるのか。という疑問に対する私の答えは、
『なり得ない。』
これまでのスペインとイタリア生活の中で、身を以て「日本人の沈黙」がこちらでは一切、通用しないことを学んできた。
日本文化に理解がある人、それを好んでいる人を除いて『沈黙』を良く思う人に出会ったことがない。基本的に会話の中で「2秒ほどの間」があれば『言葉が理解出来てないんだ』と思われ、相手の話に対する反応、口数が少なければ『無関心なんだな』とマイナスなイメージを持たれてしまう。
私はヨーロッパに来た当初、日本人特有の沈黙は西洋でも美徳だろうと思っていた。特によく喋るスペイン人とイタリア人との生活の中で、お互いがマシンガントークをしても仕方がない。どちらかが聞き手になる方が…。
そんな中、少しずつ美徳の概念が違うことに気づいていった。
【① スペインの語学学校時代】
まず、先生から指摘されたのは私の口数の少なさ。「スペインで寡黙は美ではない。無関心の印象しか与えない。」と言われ、1ヶ月、とにかく『話す』練習をした。1つの質問に対して、日本語なら短いワンフレーズで答えるところを3フレーズ以上で答えた。これに関しては前に記事を1本書いたことがあるので、気になる人は ↓ を。
【② 現地の人の思い出話】
今までに私以外の日本人と友達になったことがあるスペイン人を数人知っている。イギリスに留学をした際に、日本人女性 (20代後半) と知り合った子、ホームステイで2週間、日本人女性 (30代) を受け入れたおばちゃん、サッカー留学で来ている日本人男子 (20代前半) をジムで指導したことがあるトレーナーの子、同じピソに日本人が住んでいたという美術家のおじさんなど。
みんな日本人と出会ったことを嬉しそうに、その人の名前から教えてくれる。すごくいい子だったよ〜!と聞くと、ほっこりする。
アヤコ
ナルミ
リョウタ
ケンジ
未だにちゃんと名前を覚えているところを見ると、本当に良い人だったんだと分かる。…でも『へぇーそうなんだ!どんな人だったの〜?』とその人たちのことを聞くと、決まって次のような形容詞が使われる。
era muy silencioso (とても静か)
era muy tímida (とてもシャイ)
era muy callada (とても寡黙)
era demasiado tranquilo (大人し過ぎた)
これら全てに共通する muy (かなり、とても) という副詞は、英語の very にあたるのだが…。この使い方はあまりプラスではない印象を受ける。シャイや寡黙というワードに関しては、スペインでは完全にマイナスなイメージ。
"Pues, era muuuuy tímida!"
(とーってもシャイだったのよ〜!)
"Era bueno pero era demasiado tranquilo!"
(良い人だったけど大人し過ぎたよ!)
と、言ってる顔色には少し皮肉が見えた。
母国でその人たちは、決して「シャイ」でも「寡黙」でも「無口」でもないはずだ。ただ、スペインでは「今日の学校どうだった?」と聞かれ『ん〜ちょっと難しかった』とか『楽しかった』という一言のみを返すと、口数が少なすぎる人と思われてしまう。
大切なのは、話す量。
『いつもは読む系の授業が多いんだけどさ、今日は珍しく会話だったんだよ。今クラスにロシア人とイタリア人と中国人がいるんだけど、彼らの話を聞いてたら文化ってやっぱり結構違うんだな〜って思ったんだよね!まあ毎日楽しくやってるよ!で、君は今日1日どうだった?』
これくらいが普通。
【③ 真剣な話をしている時】
私は未だに、人生相談、家族や友達とのいざこざ、かわいそうな失恋話、かなりダメージの強い仕事の失敗談などの「真剣な話」を聞いていると、会話の中で『2,3秒の沈黙』を作ってしまう。ベストな返答を一瞬考える。
日本人の友達は私が会話の中で『沈黙』していても「真剣に考えてくれてるんだな」と思ってくれるに違いない。私も相手が会話の中で黙ったら、焦らすことなく、その人の口が開くのを待つ。
しかし、スペイン人・イタリア人にはこれが通じない。だから極力なくそうと意識はしている…ものの、やはり内容によっては少し考えて発言してしまう。すると、相手は案の定「さっきの私の説明うまく理解できなかった?」「俺の言った意味わかった?」だ。
"ostia..." (まぢか…)
"¿...en serio?" (…本当に?)
"mamma mia..." (うわ〜…)
"ma...." (まあでも…)
とすぐに反応をした直後の「間」であっても彼らは待てない。
なぜか?
それは、イタリア人やスペイン人はどんな場面でもすぐに返事をするから。…確かに、彼らが黙り込んでいるのを見たことがないかもしれない。常に何かを喋っている。
最初はそんなトーク力・頭のキレをすごいな〜と思っていた。でも、今はその返事が実は「浅い」ことを知っている。彼らがとりあえず間を埋めようと話していることに気づいている。
彼らの返答を聞いていると、
全員が全員ではないが、
(率直な感想を一言)➡︎(数分語る)➡︎(大事な答え)
な、ことが多い。だから数人で話をしている時「…結局今の長い話…最後の言葉だけで良かったんじゃない…」と心の中で思うことが多々ある。
考えて発言するのではなく、会話の中で、自らの考えを明確にしている。…まさに、ここに、日本人と西洋人の『会話における美の概念』の違いがあるのではないか。
日本人は小学校の頃から、
・簡潔にわかりやすく発言
・この物語の筆者の言いたいことをまとめる
・まずは文章の核となる部分を探す
という教育を受けるから、要約する力を備えている。
日本: 50字以内で答えよ
西洋: 150単語以上で答えよ
その力に合わさっているのが、
・争いを好まないお国柄
・本当の意見で相手を傷つけたくない不安
・これを言ったら相手は…という先読み
・空気を読んで発言する意識
・寡黙な人=賢い人というイメージ
・自然を重んじる神道の精神
そして諺;
・能ある鷹は爪を隠す
・雄弁は銀、沈黙は金
・言わぬが花
・言わぬは言うに勝る
・以心伝心
言わなければ伝わらない、意見を述べてなんぼ、相手を説得してなんぼの国の人たちがこれを簡単に理解できないのも無理はない。そもそも、千語より一語を美とするか、一語より千語を美とするか、の根本からして違うのだから。
…
…
要するに、
【日本人の沈黙とは】
・冷静になる時間
・我に帰る時間
・気持ちをセーブする時間
・相手にとってベストな返答を練る時間
・場面によっては発言より価値があること
私たちは沈黙と沈黙でコミュニケーションを取ることもできる。たまに間が言葉以上に気持ちを伝えてくれることもある。
相手の気持ちを「知る」より前に「読む」
日本人の「沈黙」は深かった。
おすすめ記事: