スペイン人もイタリア人も、挨拶の直後に決まって「元気?」と相手の体調を伺う。
🇪🇸 スペイン:
Hola, ¿qué tal?
(オラ、ケタル?)
🇮🇹 イタリア:
Ciao, come stai?
(チャーオ、コメスターイ?)
私も自分から現地の友達に話しかける際には、いつも『挨拶+元気?』をセットで口にする。
しかし、正直なところ、いくら仲が良くても、そこまで相手の体調は気にならない。
「気にならない」には語弊が生まれそうなので少し付け足す。普通、元気でなければ会わないし、わざわざ聞かなくても目、顔色、声、仕草を見れば「元気でないこと」くらい分かる。仮に少し頭が痛いとしても、相手に心配をかけまいと「元気だよ」と答える人もいる。
それゆえ、スペイン人やイタリア人と挨拶を交わす時の「元気」という言葉は、中身が空っぽのように感じられることもある。それに、久しぶりの再会や病み上がりを除いて、毎回毎回、相手の体調が本当に気になっているスペイン人やイタリア人は滅多にいない。
では、なぜ決まり文句のごとく「元気?」と聞くのか。
その答えは、
私が下の記事の逆バージョン、【Muy bienだけじゃない】スペイン人が普段使う¿Qué tal?への返事 という記事を書いていない理由と同じである。
¿Qué tal? の真意は「元気?」ではない。
【距離を縮めるための言葉】
¿Qué tal? は、以下の2つの含意を持っている。
①『あなたのことを気にかけているよ』という気持ち
➡︎ これは、元気?と聞く理由
② 会話のきっかけ (広がり) を作りたいという気持ち
➡︎ これは、どんな気持ちで聞いているか
私たちの感覚からより遠いのは①である。親しくても初対面でも『相手への興味』から会話が始まる。「¡Hola!」「Ciao!」「こんにちは」は、鏡の反射のような言葉。その後に続く「元気?」は、相手を鏡によく写すイメージ。挨拶だけで終わらないのが、一種の礼儀でもある。
手を振られたら振り返すように。お辞儀や会釈をされたら自然とつられて返すように。当たり前に ¿Qué tal? (元気?) には、¿Qué tal? (元気?) の一言を返そう。
🇪🇸 Muy bien, ¿y tú?
¿Qué tal?
(元気だよ、君は?)
🇮🇹 Molto bene, tu?
Come stai?
(元気だよ、君は?)
②は、日本人同士が会話の始まりや、終わりで交わす軽い言葉「やっと暖かくなってきたね」「もうこんな時間」「最近どう?」「またご飯行こうね」「また遊ぼう」に近い感覚。
昨日も会った友達と待ち合わせをした時、一言目に何と言うだろう?きっと第一声が「元気?」は、稀。私たちのこの会話の入り口は、西洋の人たちと違う。
『天気』や『時間』にまつわる言葉を知らない間によく使っている。『こんにちは』や『おはよう』の挨拶も語源を辿れば…
こんにちは
➡︎ 今日は、良いお天気ですね
おはよう
➡︎ お早いですね
ここから会話が広がってゆく。「春になったら〇〇したいね」「最近時間があっという間に過ぎるよね」「今朝、早起きをしたのは〇〇があるからなんだ」「昨日の夜の雷すごかったよね」と。
これと同じで、¿Qué tal? から会話が広がる。対象が『体調』であるだけ。「忙しくしてるけど、いたって元気よ」「すごく元気よ」「気温差で腕の手術のあとが痛むけど、でも大丈夫」「鼻で息がしにくいけどコロナじゃないからね(笑)」と。
【慣れる日は来るのか】
留学1年目からこのやりとりには慣れた。なぜ?と疑問に思うこともないほど、当たり前な感覚で、挨拶の一貫として相手に体調を聞く。
こちらに来て7年経った今、
¿Qué tal? は、必要だと思う?
と聞かれたら、「思わない」と答える。でもこれは、日本人の「お辞儀が必要か?」という質問&回答と同じ。
いるか?と聞かれたら、いらない。
お辞儀の文化を知らない外国人の方に不快感を抱いたりはしない。
しかし、日本の街中で「すみません」や「ありがとうございます」と言う場面で外国人の方が自然にお辞儀をしてくださったら…?
急に親近感を抱くに違いない。
嬉しくなるに違いない。
それと同じである。
きっとその外国人の方は、私たちを喜ばせるために意識的に礼をしているのではないと思う。長く日本に住んでいるうちに、自然と身についた敬意を表す動作である。いわば、『その国の文化に対する好意の現れ』である。
だから私も「意味」を深く考えることなく、ついつい、スペイン人と同じように今日も挨拶のあとに『元気?』をつけてしまう。
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