カタルーニャ広場から1分の場所とは思えないほど、美しい静けさが漂うサンタアナ教会 (Església de Santa Anna) は、現代風の建物の間にひっそりとある。12世紀に建てられたこの教会は昔、修道院としても使われていた。そしてここはいつもテンプル騎士団 (中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会) が決まってミーティングをする場所であった。
中には石でできた十字架があり、サンタアナのシンボルとなっている。現在ある十字架は2006年にオリジナル (1608年) の代わりに置かれたレプリカだ。もともとこの十字架は、Lleida (リェイダ: カタルーニャ州リェイダ県) の、Almatret (アルマトレット) という街から借りて来ていたものでスペイン市民戦争が終わったあたりまでここにあった。終戦後、何年かするとアルマトレットの街に返還しなければならなかったため、レプリカを置くこととなった。
12世紀初め、聖墳墓教会の (東エルサレムの旧市街にあるキリストの墓とされる場所に立つ教会) 命令でバルセロナに数人の使いが送られて来た。彼らは「都市に定着し、半島全体にコミュニティを広げよ」というミッションの元、教会の建設を Ramon Amadeu (ラモン・アマデウ: 1745-1821) という彫刻・建築家に委託した。サンタアナ教会の前にある広場は、Plaça de Ramon Amadeu (ラモン・アマデウ広場)。彼の名前から取ったもの。
教会は1141年に建設が始まり、3世紀をかけて完成した。ローマ建築とゴシック様式が混ざったスタイルで作られたのだが、なんと現在もそのローマ建築構造がオリジナルの状態で保存されている。ゴシック様式の扉は1300年のもの。1881年に歴史的に重要な建物だとして国宝に認定される。カタルーニャ州も最近この教会を国の文化を後世に伝えるための重要建築物に認定した。(扉の前 ↓ にいるのは、2014年BCNに遊びに来た私のおじいちゃん)
アプス (壁面にうがたれた半円形または多角形にくぼんだ部分でローマ建築が起源で、宗教建築・世俗建築の両方に見られる) の左には、14世紀につくられた Capilla de Los Perdones (ペルドネス礼拝堂) がある。そして中には、Miquel de Boera (ミケル・デ・ボエーラ: 16世紀の高貴な騎士) の墓が。
ここはスペインのエルサレム聖墳墓教会の勲章の本部。
15世紀に作られた、回廊はゴシック様式だが、もうルネサンスを垣間見ることができる。「筋交い」(柱と柱の間に斜めに入れて建築物や足場の構造を補強する部材) はルネサンス建築の特徴の1つ。ここは春に行くと花と緑でいっぱいだし、そこに太陽光が降り注いでめちゃくちゃ綺麗。各面に10のアーチがある。
カタルーニャには伝統的な l'Ou Com Balla (卵のダンス) という日がある。スペイン語にすると "el huevo cómo baila" で、この日は回廊、パティオ、庭園にある噴水の水で卵を踊らせないといけない。起源はわかっていないが、15世紀〜17世紀にバルセロナのカテドラルでこの伝統行事をしていた記録が残っているらしい。イースターの日曜日からジャスト60日後に現在も行われている。バルセロナでは10ヶ所の教会でこの卵のダンスを生で見ることができる。カテドラル・サンナアナ教会・アテネウ庭園(サンタアナ通りの横のカヌダ通りの6番地)・ペドラルベス修道院など。
2012年も2014年はサンタアナ教会の真裏、2014年の終わり〜2018年もこの教会から歩いて3分のところ、に住んでいたからここの鐘の音は私の生活の一部だった。↓ サンタアナの裏が少し見える。
バルセロナ市内で、教会の敷地内にお花屋さんがあるのはここしかしらない。
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