バルセロナほど「街灯」のデザインが凝っている街を他に見たことがない。
【プエルタデルアンヘル通り】
この通りには、数種類の異なる可愛いランプがある。
メインは、このデザイン ⬇︎
H&Mの入り口の左右にあるゴージャスな金のランプは、よく見ると曲線が美しい ⬇︎
デパートの入り口 ⬇︎
携帯会社の周り ⬇︎
【パッセージデグラシア通り】
カサバトリョで有名なこの道には、3種類の街灯がある。
ランプが1つのこのバージョンと ⬇︎
建築家ペレファルケス氏がデザインした、ベンチと一体化している街灯 ⬇︎
大通りと交わる交差点には、このタイプがあり、夜のパッセージデグラシア通りは、とても明るい。治安も良い ⬇︎
【カタルーニャ広場の角】
デシグアルのお店が入っているこの部分は、
くるくるとした細い曲線が草のよう ⬇︎
カタルーニャ広場周辺は、ランプが冠をかぶっているみたいなデザイン ⬇︎
パーツごとに見ても楽しい。
【ランブラス通りの入り口】
天使と船のユニークな街灯があるのは、ランブラス通りの入り口。
下の彫刻は、植物にも、船をつなぎとめる舫い綱 (もやいづな) にも見える ⬇︎
海まで続く道だからかな。
【ランブラス通り】
パッセージデグラシア通りのデザインと同じだが、ガラスの部分が黄色いのが特徴。
カタルーニャ広場からランブラス通りへ渡り、徒歩10秒くらいのところにある「カナレタスの泉」と呼ばれるこの噴水は、観光客の人たちから人気のスポット ⬇︎
上には4つのランプがついている。
【ボンスクセス通り】
大学へ行くのに毎日歩く+夕方、光が綺麗だから個人的に好んでいるボンスクセス通りは、
景観に合った黒色をしているが、
ランブラス通りに面している側は、この色 ⬇︎
【傘の家のランプ】
リセウ駅の真横、ボケリア市場の近くに、東洋のデコレーションが施されている "Casa Bruno Cuadros de Barcelona" という建物がある。通称「傘の家」。
その名の通り、ここはかつて、バルセロナで有名な傘屋さんだった。1883年に、建築家の Josep Vilaseca (ジョセップ・ビラセカ) 氏がリフォームの依頼を受け、デザインを担当した。国際博覧会 (1888年) を控えた19世紀後半は、街がどんどん進化している時期だった。ジョセップ氏は、産業革命後にバルセロナを中心に生まれた有名な芸術様式 (当時の流行り)「モデルニスモ」と、異文化の要素を融合させた。バルコニーには、エジプト文化を散らばせ、中国文化のシンボルとも言える龍には、街灯を支える仕事を与えた。日本語の文字が描かれた絵や、エキゾチックな木工細工からもオリエンタリズム (東洋への憧れ) が垣間見える。
1980年以降は、銀行の支店が入っている。
【レイアール広場の街灯】
リセウ駅の近くにあるレイアール広場は、ガウディが設計した街灯で有名だから知っている人も多いだろう。
ガウディが建築専門学校 (Escuela Técnica Superior de Arquitectura de Barcelona) を卒業し、市から初めて受けた仕事は、2つの広場 (Plaza RealとPla del Palau) の街灯のデザインだった。もともと、バルセロナ市はガウディに「派手ではなく、シンプルな、高貴なデザインにしてくれ」と依頼していた。1879年に完成した ⬇︎ この作品は、当時の社会に感銘を与えた。腕を評価されたガウディは1883年に、カサビセンス (Casa Vicens) のデザインを任され、そこからグエル別邸 (Palau Güell) や、グエル公園 (Parc Güell)、コロニアグエル教会地下聖堂 (Colonia Güell)…と、才能を次々と開花させていった。
【フェラン通り】
続いて、ランブラス通りとジャウメプリメール駅を繋ぐ、フェラン通り。
上からこのようにぶら下がっているのは、珍しい⬇︎
1848年に出来たフェラン通りは、約550m。ちょうど半分 (真ん中) のあたりに、カタルーニャ自治州の庁舎と、バルセロナ市の庁舎が向き合う形で建っているサンジャウマ広場がある。
昔 (13世紀〜14世紀頃)、この辺りは貴族が住んでいたエリアだったから今も当時の名残をとどめている。
ゴシック地区の中でもエレガントさが際立つ広場で、明かりの真下には、生き生きとした鮮明な色のお花が植えられている ⬇︎
この広場からカテドラルへ続くビスベ通りには、また違った趣きがある暖色のランプが夜の街を照らしている。
バルセロナ。
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