カタルーニャ広場からランブラス通りを何歩か進んで右に入るとバルセロナ大学哲学部のキャンパスがある。その真横には市役所があるんだけど、入り口の壁には、謎の大きな穴が空いている。しかも、この市役所はドアにも古い建物自体にも Casa de la misericordia (慈悲の家) と書かれている。
...なんでだろう?
疑問を抱きながら毎日前を通っていた。そんなある日の政治哲学の授業で Iñigo 教授がその「ラメリェレス通り (Carrer de les Ramelleres)」について教えてくれた。
Casa de la misericordia (慈悲の家) と彫られている理由は、昔ここは孤児を集めていた修道院だったからだよ、創立者は司祭でもあり、バルセロナ大学の教授でもあった Diego Pérez de Valdivia (ディエゴ ペレス デ バルディビア) という男性でね。
…と歴史を語り始めた。
この「慈悲の家」はヨーロッパで最初の孤児院で、穴の内側は最初に載せた写真の下の白黒写真のようになっていた。離婚してしまって育てられなくなった子供、望まない妊娠、経済的な理由…様々な理由をもった母親たちがここに赤ちゃんを預けにきていた。完全に匿名制であった。日本にある「赤ちゃんポスト」と似た感じで、ここでは赤ちゃんを置くと板が回転するつくりになっていた。
El torn dels orfes (孤児の旋盤) と呼ばれるこの穴のしくみはとても簡単だった。赤ちゃんを穴のところに置いて中にいる修道女さんに知らせるためにベルを鳴らす。そして板を回転させると赤ちゃんはもう中に入ってしまう。中に入ると、その子にとってその日は修道院についた聖なる日としてお祝いされた。赤ちゃんには Expósito (孤児と認識される言葉) という苗字がつけられた。
左上にあるもう1つの小さな穴は孤児院の赤ちゃんを助けるために支援金を入れる穴で、この「孤児の家」が作られた1583年から1931年までは市民の間で使われてた。1931年まではここに赤ちゃんを預けることもできた。
しかし、今はもう使われていないのでお金を入れることはできない。
2003年にバルセロナの市役所がこの穴を綺麗に修復し、Petit Paisatge に認定。丸いスチール板を横につけた。Petit Paisatge は、カタルーニャ語で小さな風景を意味する。バルセロナの重要な歴史を保存していこう!というプロジェクトがあり、市内の歴史的建造物にはこれがついている。前に紹介した「バルセロナの巨大な温度計」のところにもある。
Carrer de les Ramelleres は、UBに通い始めてから毎日4回は通る道。将来思い出深い道の1つになるだろうな〜と歩きながらいつも思う。ビセンス・マルトレイ広場 (Plaça de Vicenç Martorell) もすごく気に入ってる。
小さい広場なのにカフェテリアが3つある。哲学・歴史学・考古学の生徒が休み時間にカフェと言えば大抵ここへ来る。
この道も、Carrer dels Tallers (タリェス通り) も、歴史好きにはたまらない。このラバル地区自体、古い歴史でいっぱいだ。
ローマ時代には「道路」が存在して最も先を行く地区であったし、14世紀より前ここはただ農業をするためだけの土地だったから市民はラバル=お金の元 (財源) というイメージを持っていた。バルセロナの産業の鍵を握るのもラバル地区 (18世紀初めにはここから産業が始まって、手工業が栄えて、お金がよく回り始めた)。
と言うわけで…Carrer de les Ramelleres は、バルセロナの「孤児院」の歴史が最も残っている道。
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