BARCELONANDO :)

1995年生まれ。ヨーロッパ生活5年目。バルセロナ・イタリア・ヨーロッパ・言語学・哲学に関する記事。

【どのサイトよりも詳しい】ランブラス通りの歴史

バルセロナのメインストリートである ランブラス通りは街の中心「カタルーニャ広場」から港があった「コロンブスの塔」までを繋ぐ1.2kmの並木通りで、スペイン語では La Rambla、カタルーニャ語では Les Rambles と呼ばれる。「ランブラ」はカタルーニャ語・スペイン語で『水路』を意味する。

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ランブラス通りの起源は18世紀。1760年〜1766年にバルセロナの中世の街を覆っていた市壁に沿って広い通りが作られた。このランブラスに匹敵する広い道はこれまでに1本もなかったから、市民はとても重要で特別な道という認識を持つようになった。すぐにその大通りはバルセロナ市民 (全階級) が待ち合わせ場所に使う謂わば「バルセロナの核 (中心地)」になり、周りにいくつもの博物館リセウ大劇場 (el Gran teatro del Liceu)・有名なカナレタス噴水 (la fuente de las Canaletas)・ボケリア市場 (el Mercado de la Boqueria)・ビレイーナ宮殿 (el Palau de la Virreina) などが建てられた。 

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通行人が楽しく、もっと快適に歩けるようにと多くの木が植えられ、19世紀になるとこの通りの端から端までたくさんの花屋がオープンした。現在ではレストラン・カフェテリア・土産物売店・キオスコ・その他様々なお店が立ち並び、昔より賑やかな雰囲気だ。ボケリアやリセウ駅付近にはまだお花屋さんがいくつか残っていて、道ゆく人の目を楽しませている。

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【名前の由来と歴史】
ローマ時代まだバルセロナは『バルチーノ (Barcino)』と呼ばれており、2つの川の間にその街はあった。El Torrent de l'Olla という川は現在のビア・ライエタナ (la Via Laietana) があるところに、もう1つの La Riera de Sant Miquel (別名: La Riera de Collserola) 川は現在のランブラス通りがある場所に流れていた。

中世になるとさらに防壁を強化する必要が出てきたため、1287年あたりに2つ目の市壁が建設された。これは「Jaume I の壁」として有名である。この壁は今のランブラス通りに接していたが、わずかにランブラスよりは外に作られていた。

政治、経済、宗教が安定していくにつれ、また市壁拡張計画が立てられた。その頃、壁外に住んでいた人々はラバル地区に集まって小さな街を作っていた。

1377年、ペストが大流行すると人々はランブラスを渡り、その先にあった修道院に身を寄せることとなる。

ペドロ4世 (Pere III el Cerimoniós) が同年1377年に「3つ目の市壁計画ではランブラスを街の中に入れる。自然をそのまま残すんだ、川の形は変えるなよ。」と命令を出した。1440年には La Rambla (ゆっくり市民が散歩をできる大通り) が出来たものの、果樹園、小さな市場の屋台、動物たちが売られる市場が近くにあり、道の外観はとても素朴だった。

徐々に、多くの修道院がランブラス通りに近くに立ち並び、より「都市化」した雰囲気を出すようになる。

しかし1835年あたりになると自由主義者と絶対主義者、そして一般大衆とブルジョアジー (中産階級) の間に争いが起こるようになり、1835年のサンジャウメの日 (el día de Sant Jaume) バルセロナにあった様々な修道院が襲撃されてしまう。そのうち5つが完全に破壊され、多くの修道士が亡くなってしまった。

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1836年2月18日、Desamortización de Mendizábal (メンディサバルの永代所有財産解放令) が出され、イエズス会の財産没収が行われた。Mendizábal とは当時のスペイン首相フアン・アルバレス・メンディサバルの名前。この法令は長年に渡ってカトリック教会が所有してきた修道院や上級貴族が持っていた遺産を没収して競売にかけるもので、国富を増やし、中産階級・農民の土地所有を進めることが目的だった。これにより、数世紀に渡って所有された修道院が取り壊され、近代的な都市が推進されるようになった。

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この時代、Sant Josep (サンジョセップ修道院) があった場所にサンジョセップ市場が開かれた。これはのちにボケリア市場と呼ばれるようになる。現在は人気観光スポットで、朝から晩まで観光客でごった返すボケリア市。だが、まだその入り口にはしっかりと修道院の名前 Sant Josep が残されている

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…というのがランブラス通りの歴史である。訪れる人の心を惹きつける街バルセロナ。その中心にあるこの一本の道。これまでに多くの名高い詩人、著者、劇作家、歌手が自身の作品に「バルセロナ」「ランブラス通り」という単語を登場させ、その思いを綴っている。

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最近では2017年にエドシーランBarcelona という曲で、"Las ramblas, I'll meet you, we'll dance around La Sagrada Familia (ランブラス通りで君に会って、サグラダファミリアの周りで一緒に踊るんだ)" と大好きなバルセロナを歌った。2018年8月末にはヨーロッパで大人気のバルセロナ出身のシンガーソングライター、アルバロソレールが「生まれ故郷バルセロナの人の陽気さ明るさを歌った」Puebla を出した。

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最後にミニ雑学。
「バルセロナのコロンブスが指差す方角にアメリカはない。」