街の中心、カタルーニャ広場から徒歩2分 (250m) のところに『Vila de Madrid (ビラ・デ・マドリッド)』という名前の、こぢんまりとした広場がある。カヌダ通り (Calle Canuda) と、ビクトリア通り (Calle Victoria) に面するここには…
ローマ時代の墓地遺跡が綺麗に保存されている。半地下になっているため、前の道を素通りしてしまう人が多いが、数歩近づくと、上からその遺跡を見下ろすことが出来る。
子供たちが遊ぶ公園の横を歩き、地下の方へ下がって行くと…
バルセロナ歴史博物館 (MUHBA: Via Sepulcral Romana) の入り口。
営業時間内であれば、
一般料金: 2ユーロ (約250円)
割引料金: 1.50ユーロ (約187円)
で、中に入ることも出来る。
今日は、ここに墓地遺跡がある理由と、この広場の名前に『マドリッド』が入っている理由について。
【予備知識】
バルセロナの起源は、紀元前20年頃、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス (Augusto) 率いるローマ人が築いた植民都市『バルキーノ (BARCINO)』である。バルキーノは、バルカ一族の街を意味する。バルカいちぞく。
【ここに墓地遺跡がある理由】
1世紀から3世紀にかけて、ローマ法は、市内での『埋葬』を禁じていたため、バルキーノの葬儀場は、市壁を出てすぐの道路に沿って少し歩いたところにあった。それが現在、遺跡が残っている『Vila de Madrid (ビラ・デ・マドリッド)』広場である。
幸運にもこの遺跡は保存状態が非常に良いため、今日に至るまで、多くの研究が行われてきた。(4世紀の墓地の保存状態は非常に悪い。)
人々は都市 (生の空間) と墓地 (死の空間) を明確に区別しており、墓地をネクロポリス (ギリシア語: 死者の街) として、街の外に造営した。
ちなみに古代ローマでも墓地は城壁の外に作られており、紀元前5世紀に成立したとされる十二表法でも城壁内に死者を葬ることは禁止されていた。そのため、古代ローマ時代も市壁を出てすぐの道に沿って少し歩いたところに墓地が作られている。
【六行で知る発掘までの経緯】
バルキーノの近くには、河川が流れており、長年の堆積物によって、次第にネクロポリス (墓場) は、埋まっていった。
そして時は流れ…1588年、この場所にカルメル修道院 (Convento de Santa Teresa de carmelitas descalzas) が建てられた。
しかし、20世紀に入るとスペイン市民戦争 (1936-1938年) が起こる。カルメル修道院の地下通路は、近隣住民の避難所となっていたが、爆弾の被害を受けてしまい、移転されることとなる。
1940年の終わりに跡地利用計画の作業開始。
1954年、この遺跡が発見され、『古代バルチーノの歴史を知る上で非常に重要なネクロポリス』と、国内外から注目が集まった。
【お墓の種類】
木製の樽の形を再現した、クパ (cupa) と呼ばれる ⬇︎ この形のお墓が6つ。バルセロナの Via Sepulcral Romana (ローマ時代の墓地遺跡) は、本当に保存状態が良く、『クパ』の代名詞であるほど有名。
複数形は、cupae (クパエ)。これは、"túmulos cuadrangulares" (四角い古墳) を意味する。
構造から火葬の儀式があったと思われるもの、焦げた木が残っているもの、土と木と一緒に砕かれて燃やされた骨、焼けた骨のみが入っている壺、空の石墳 (きっと慰霊碑)…。この地では、多くの幼児の埋葬も見つかっているのだが、幼児の場合には共通する特徴がある。それは、鐘がぶら下がっているブレスレットと、顎の下に置かれたコイン (冥銭)。来世への旅がより豊かになるように、という願いが込められていたのだろう。
クパ (cupa) は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したバルセロナの歴史家ドゥラン氏 (Duran i Sanpere) が命名した古墳の種類である。
6つのアラ (ara) ⬇︎ 幾何学的な装飾が特徴。
直接地面に打ち込まれているエステラ (estela) と呼ばれる石碑が1つ ⬇︎
2つのロサ (losa)、33のトゥムロ (túmulo) - 33のうち2つは円錐形で、残りは長方形。タイルとアンフォラ (古代ローマ時代の陶器) で覆われた17つの埋葬と、どの種類にも当てはめられない20のお墓。…合計85の墓穴が見つかっている。
火葬は、600-700度でされていたと見られる。薪の種類は、イチゴノキ、ツツジ科のヘザー、オリーブの木、ブナ科のセイヨウヒイラギガシ、オークで、いずれも燃焼に適した質だった。イチゴノキと言えば、…マドリッドのソル広場のクマ。
【誰のお墓?】
歴史に名を残す偉人あるいは王が眠っているのかと思いきや…。実は1世紀から3世紀にかけてこのエリアに住んでいた中流階級と下流階級の人たち (奴隷と解放奴隷) のお墓で、碑文も残されている。保管されている古い文書を見ても、大部分には奴隷と解放奴隷について書かれてある。
【当時の様子】
バルセロナの歴史博物館の公式YouTubeチャンネルが公開しているビデオ ⬇︎
この広場を挟むサンタアナ通りとポルタフェリサ通りも歴史的にも重要な道。
【この広場の名前の由来】
正式名称は、Plaça de la Vila de Madrid (プラサ・デ・ラ・ビラ・デ・マドリッド)。マドリッド広場。
なぜ?
…
…
その答えは、壁にある。
マドリッド市長は、"La Casa de Madrid de Barcelona y el pueblo madrileño en agradecimiento a los ciudadanos y ciudadanas de Barcelona por su solidaridad con las víctimas del atentado del 11 de marzo de 2004." (2004年3月11日に起こった事件の犠牲者に対するバルセロナ市民の連帯にマドリッド市民一同、感謝いたします。) と、ここに記念碑を残した。
2004年3月11日…首都、マドリッドで起こった列車爆破テロ事件が発生した。
広場の壁には、バルセロナ (サグラダファミリアと旗) と、マドリッド (アルカラ門と旗) が一体となったセラミックタイル。
ぜひ一度、この広場へ。
【住所】
Plaza De la Vila de Madrid, 08002, Barcelona
【営業時間】
火曜日: 11時-14時
日曜日: 11時-19時
閉館日: 月・水・木・金・土
+1月1日、5月1日、6月24日、12月25日
【料金】
一般料金: 2ユーロ (約250円)
割引料金: 1.50ユーロ (約187円)
*割引対象者*
29歳以下、65歳以上、バルセロナの図書カード保持者、Tarjeta rosa reducida 保持者、Carnet de familia monoparental 保持者、10人以上の団体
*無料*
16歳以下、Tarjeta rosa gratuita 保持者、ICOMメンバー、バルセロナカード保持者、カタルーニャ博物館学協会の会員メンバー、観光のガイドさん、認定を受けているジャーナリスト、障がい者の方1人と引率者、毎月最初の日曜日 (1日中)、毎月第一以外の日曜日 (15時以降)
【アクセス方法】
メトロ: Catalunya駅 (1番線と3番線)
Jaume I (4番線)
バス: 14番、59番、45番、64番、120番、H14、D20、V15、V17
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