BARCELONANDO :)

1995年香川生まれ岡山育ち。現在ヨーロッパ生活10年目。スペインとイタリアの大学生活・旅行・言語学 (5ヶ国語)・哲学・バルセロナおすすめ情報など、幅広いジャンルの記事を執筆中。

【ピカソが通った四匹の猫】Els Quatre Gats とバルセロナのモデルニスタたち

バルセロナの中心地、カタルーニャ広場とカテドラルの間にピカソが通った Els Quatre Gats (クアットロガッツ: 四匹の猫) というカフェテリアがある。カタルーニャのモデルニスモの代表の一人、Josep Puig i Cadafalch (ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク) の作品 (La Casa Martí: マルティの家) で1896年に建てられた。中世を連想させる外観を持つこの建物は、19世紀の終わりにバルセロナのモデルニスモ集団のたまり場となっていた。

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Els Quatre Gats (クアットロガッツ) は、カフェテリア兼レストラン兼ビール屋さんだった。入り口にあるファザードはヨーロッパのゴシック様式の影響を受けている。カタルーニャのモデルニスモ独特の要素もたくさん取り入れている建物で、外壁には美しいステンドグラスの窓、手の込んだ錬鉄の作品、バルセロナ生まれの彫刻家 Eusebi Arnau  (アウゼービ・アルナウ) の彫刻がある他、角にはカタルーニャの伝説のヒーロー Sant Jordi (サンジョルディ) の姿が見られる。 

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(日本から遊びに来てくれた祖父母)

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このカフェのシンボルになっていると言っても過言ではない「自転車に乗った2人組の男」の絵は、Pere Romeu y Ramón Casas en tándem (タンデム自転車に乗るペレロメウとラモンカサス) という題名でオリジナルは、MNAC (カタルーニャ美術館) にある。

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【どんなカフェテリアだったか】
1897年6月12日にオープン。それから6年間、1903年まで営業していた。その間、多くの芸術家たちが集会を祝ったり、夕食を共にしたり、個展を開いたりしていた。毎晩シャドーショーやコンサートが行われていたこともあり、常にアートの活気でいっぱいの空間だった。常連客のメンバーは…

Ramón Cases (ラモンカセス)
→ 1866年1月4日バルセロナ生まれ。風刺画と上流階級の人々の肖像画で有名。バルセロナの路上で抗議する市民を抑圧する様子を描写した作品で一躍有名に。

Santiago Rusiñol (サンティアゴルシニョール)
→ 1861年2月25日バルセロナ生まれ。劇作家であり、カタルーニャのポスト印象派画家でもある。モデルニスモで重要な役割を担う。ピカソにも多大な影響を与えたと言われている。

Nonell (ノネイ)
→ 1872年11月30日バルセロナ生まれ。モデルニスモのメンバーである画家。

Gaudí (ガウディ)
→ 1852年6月25日レウス生まれ。サグラダファミリアやグエル公園で有名なカタルーニャ出身の建築家。モデルニスモの重要人物。

Miguel Utrillo (ミゲルウトリーリョ)
→ 1862年2月16日バルセロナ生まれ。エンジニア、画家、装飾職人、批評家であり、スペインの芸術の鍵を握ってた人物。1929年のバルセロナ万国博覧会の時の芸術監督の一人でモンジュイックにあるスペイン村の創設に積極的に参加していた。

Picasso (ピカソ)
→ 1881年10月25日マラガ生まれ。フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。彼がパリに行くきっかけとなったのは、クアットロガッツでいつも交流していた先輩画家たちの影響。

まだ17歳だったピカソが誰よりもこの場所を好んでとてもよく通っていた。彼のずば抜けた天才的な絵の才能は早くから開花していたため、その場にいた常連客だった芸術家たちはすぐに彼を気に入った。後に、彼はこのカフェテリアの1番大きな部屋を借りて初めて自らの絵を公開することに。そしてピカソが描いた絵がメニューの表紙にもなった。f:id:kaedetaniyoshi:20190123192301j:plain

「たまり場」と言えど、Els Quatre Gats は、北欧から新しい芸術がバルセロナに伝わる『』であった。開店して間もない頃に来ていたお客さんはなんと、Rubén Darío (ルベンダリオ: 19世紀のラテンアメリカで最も偉大な詩人と言われる人物で超有名だったよう。上側の写真 ↓ は1900年のもの。

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1904年の店内 ↓

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【四匹の猫という名前の由来】
Ramon Casas (ラモンカサス) が友人である Pere Romeu (ペレロメウ) に次のようなアドバイスをしたという噂がある。「もうバルセロナに既存しているようなレストランは開くな。4匹のネコすらもこないぞ。」

 

【パリの文芸キャバレーの影響を受けた】
フランスの首都、パリに Le chat noir (ル・シャノワール) という文芸キャバレーがあった。黒猫と名付けられたこのお店は芸術・芸能・娯楽の新しいスポットとして瞬く間に人気を呼んだ。芸術家、作曲家、建築家、小説家、詩人からの関心も非常に高い場所となり、いつしか彼らと上級階級の若者たちが日々刺激を与え合う場になった。エッフェル塔を設計したエッフェルがよく足を運んでいたらしい。バルセロナのクアットロガッツと同じく、将来偉人となる芸術家が多く集った。

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このパリのル・シャノワールで何年かウエイターとして働いていた Pere Romeu (ペレロメウ) が、クアットロガッツの創設者となる。

【Pere Romeu は何者?】
Pere Romeu i Borràs
(ペレロメウ・イ・ボラス) は、1862年にタラゴナの近くにある Torredembarra (トラダンバーラ) という街で誕生。発起人であり文化アニメーター、アマチュア画家、そしてモデルニスモと非常に深く関係しているカタルーニャの実業家であった。そしてクアットロガッツのオーナー。若い時から画家として生きると決め、モデルニスモのメンバーである Ramón Casas (ラモンカサス) ととても交友関係があった。1893年には Miquel Utrillo と Steinlen と影絵のショーでコラボした。1894年にニューヨークやシカゴでもショーをしようと試みるもののヒットすることはなかった。彼の「理想・夢を大きく抱く性格」と「貧しい人たちを放って置けない性格」がせっかくのカフェテリア Els Quatre Gats (クアットロガッツ) を経営難に追い込み、1903年に閉店せざるを得なくなってしまった。そしてペレロメウは1908年にバルセロナで生涯を終えた。

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【どこにあるの?】
カタルーニャ広場から歩いて3分。
住所: La Carrer de Montsió 3, 08002

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私が住んでた家の前の扉にも、二人乗り自転車に乗ってる男性の絵が描かれていた。

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見たい人はクアットロガッツから歩いて5,6分のところにあるペトルチョル通り (Carrer Petritxol) へ!

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