よくバルセロナのポストカードにもなっているビスベ通り (Carrer del Bisbe) は中世の街並みにある道で、途中に架かっている独特な見た目の橋が特徴的。観光客は絶対にここで写真を撮ると言われているほどの人気スポットで朝昼晩、いつ訪れても美しい場所。ココを通りかかった時に、ガイドさん付きの団体が上を向いているのを見たことがないだろうか?実は、彼らが見ているのは…橋の真裏にあるガイコツ。そう、これは未だに解決されていないバルセロナの歴史ミステリーの1つ、La calavera del puente del Bisbe (ビスベ橋の頭蓋骨)!
すごく古い橋 (建物) に見えるが、実際には20世紀に追加された部分だから出来て100年も経っていない。橋の真下に行って、上を見るとそこにはダガーと言う短剣が貫通している「ミステリアスな頭蓋骨」がある。作り物かと思いきや、なんとホンモノ…!
なぜここにあるのかは謎のままだが、いくつかの伝説が残っている。
伝説その1
あの短剣が外されたらバルセロナの基盤が崩壊する
伝説その2
頭蓋骨を見ながら後ろ向きに橋の下をくぐれば願いが叶う
【仮説】
1928年にガウディの弟子の1人だった Joan Rubió i Bellver (ジョアン・ルビオ・イ・ベルベール) によってこの橋は設計された。
1927年にベルベールはバルセロナ大聖堂の修道院にあるタベル山 (El monte Táber) の修復プロジェクトを提案した。ゴシック様式ではない建物は全て解体してしまおう!新しいゴシック様式の要素を増やそう!と装飾をたくさん作り始めた。(当時のこのようなプロジェクトは、今でいう「テーマパークを1つ作ろう!」って感じだったらしい。)
⚠️ タベル山とはバルセロナのゴシック地区にある海抜16.9mの丘。昔、初めてのローマ和解が行われた場所 (バルセロナがまだバルキーノと呼ばれていた古代ローマ帝国時代=アウグスト皇帝の時代の1世紀)。現在「アウグスト寺院の柱」が残っているところの入り口に MONT TÁBER と書いてある。…ここには昔、小さいけれども重要な街があった。
が…!そのベルベールのプロジェクトはバルセロナの建築界で厳しく批判され、無かったことになってしまった。それに対抗しようとあの手この手を施したものの、彼の意見が通ることはなかった。しかし、あまりにもベルベールがしぶといので、他の建築家たちは偽ゴシック様式の橋をここに作った。ゴシック様式にはしたくなかったからそれっぽく作った。
頭蓋骨は死のシンボルである。そしてダガー(短剣) は暴力的…。暴力的な死、あるいは殺人…。これはベルベールが残したかったメッセージとされている。彼は建築学校にも通っていたし、モデルニスモの一員でもあった。そんな自分を理解してくれなかった人たちへの裏切り、そして「殺されたも同然」という思いを自分の1番好きなゴシック地区に残したかったよう。…確かに彼の望み通り今日では多くの「頭蓋骨」が毎日この場所を訪れ、謎めいたメッセージを見上げている。
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