BARCELONANDO :)

1995年香川生まれ岡山育ち。現在ヨーロッパ生活10年目。スペインとイタリアの大学生活・旅行・言語学 (5ヶ国語)・哲学・バルセロナおすすめ情報など、幅広いジャンルの記事を執筆中。

【言葉の後ろにある文化】スペイン語にない日本独自の表現を訳す必要性

日本語には、スペイン語にはない独自の文化が確立されている。

中でも挨拶は、対面・メール・チャット・文書を問わず、礼儀として大切な役割を持っている。

「お疲れ様です。」

「いつもありがとうございます。」

「ご無沙汰しております。」

これらは敬意や日頃の謝意を表す言葉でもあるため、決まり文句になってしまってはならないが、私たちがよく使う「いつもお世話になっております。」は、ビジネス以外の場面でも多用する『形式的な言葉』になりつつある。

「いつもお世話になっております。」を例に挙げると、これは英語でもスペイン語でもイタリア語でも直訳不可なフレーズである。それゆえ、様々なサイトやブログにはよく『代わりとなる表現』が紹介されている。

果たして…

日本独自の表現を別の文化を持つ国の人に『正しく伝える必要性』はどれくらいあるのだろうか?

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【日本独自の表現】
「日本人らしいフレーズ」を思い浮かべ、書き出してみると、海外生活が長くなればなるほど使わなくなった言葉がズラリと並んだ。

・お世話になります。
・わざわざ
・すみませんが、
・お疲れ様です。
・お先に失礼します。
・よろしくお願いいたします。
・いただきます。
・ご馳走様でした。
・しょうがない。

こう見ると、『言葉を使わなくなる』=『その気持ち (意識) が無くなる』だと感じる。言葉は生きた文化を表す。

 

【代わりとなる表現とその訳】
一応、全フレーズ『スペイン語に訳すこと』は出来る。

・お世話になります。
→ "Gracias por su apoyo (サポートありがとうございます)", "Gracias por su colaboración (ご協力ありがとうございます)", "Gracias por su trabajo (働いていただいたことに感謝します)" と私なら訳す。スペイン語のフォーマルなメールはいつも『Gracias por 〇〇 (〇〇ありがとうございます)』から始まる。〇〇の部分には、相手の良いところ (感謝に値する相手の行動) を入れる。「早速のご返信」「丁寧なご対応」「分かりやすいご説明」「温かい言葉」「常日頃のサポート」など。『お世話になります』の感覚で『〇〇ありがとうございます』と始めるが、関係性によって、相手によって、日によって〇〇の部分が変わるため、意味を深く考えることなく使いつつある『お世話になります』のような定型文ではない。

・わざわざ
→ 日本語の『わざわざ』には何通りかの意味がある。「義務や強制」「しなくても良いことをする」という意味含む使い方、例えば『わざわざ遠回りをしなければならなかった』の時は "Expresamente (明示的に)" や "Obligar a (〜させる)" と訳して良いが、「わざわざ〇〇してくれてありがとう」は、翻訳不可。スペイン語を話す時にこの否定的な (良く言えば) 控えめな気持ちと感謝を一緒に口にすることはない。

・すみませんが、
→ 「すみませんが、こちらの商品は現在在庫を切らしております」と言う時の「すみませんが」は、そのまま "Lo siento pero (すみませんが)" で使って良い。「お手数をおかけして申し訳ありませんが」という意味の「すみませんが、」はスペイン語の会話でまず使わない。日本人は謝り過ぎる。多くの外国語は、日本人が「すみません」と言う場面で「ありがとうございます」と言う。

・お疲れ様です。
→ 直訳すると、"Buen trabajo! (グッジョブ!)", "Gracias por su arduo trabajo (頑張ってくれてありがとう)" だが、スペイン人は "¡Nos ha costado! (大変でしたね!)", "¡Menudo día más largo! (なんて長い日だ!)" と言う。

・お先に失礼します。
→ 強いてスペイン語にするなら "Perdón por irme antes que los demás (他の方々より先に出ます、すみません)" である。仕事場・飲み会・催しで「最初に出るより最後に出る方が良い」「先にすみません」という日本のあれは何なのだろう。スペインでは「私はそろそろ失礼します!また明日も頑張りましょう。」「私はそろそろ帰ります。ありがとうございました。とても楽しかったです。またお願いします!」と、良い雰囲気でその場を離れる。

・よろしくお願いいたします。
→ 日本語を外国語に訳す時、最もバリエーションに富むフレーズと言える。私たちが普段多用するこの表現にはとても広い意味がある。何か頼みごとをする際に添える一言としての「よろしくお願いいたします」は、"Muchas gracias de antemano (予め感謝を伝えさせてください)", "Un saludo (少しカジュアルな敬具)", "Atentamente (敬具)", "Ruego que lo haga adecuadamente (適切な方法で行っていただけることを願っております)", "Hágalo lo mejor posible (ベストを尽くしてください)", "Cualquier ayuda se agradecería (どんな手助けに対しても感謝の気持ちを抱くでしょう)" などと訳せる。どれもそれぞれ自然ではあるが、「敬語」を意味する "Un saludo" と "Atentamente " が最も相応しい。その他の文は、外国語 (日本語) の文化がスペイン語に入ってきている感じがする。少しアウェー。日本人らしいなと思われそう。

・いただきます。
→ 正確に日本語の『いただきます』の意味を訳すと "Gracias por dejar que os comamos (君たちを食べさせてもらうことに感謝)" あるいは "Humildemente recibo su vida, gracias (あなたの命を謙虚にいただきます)" になるが、あまりにも不自然なので "Que aproveche (食事を楽しんでください)" または "Buen provecho (美味しくお召し上がりください)" と訳す。しかし、日本語のこの言葉が持つ本来の意味を知ると外国人は感動する。『いただきます』には、作り手へ向けた感謝の気持ちだけでなく、食材 (野菜・肉・魚・果物) の命をいただく感謝の気持ちが含まれているからだ。

・ご馳走様でした。
→ "Gracias por la comida (食事をありがとうございました)"  と、スペイン語で食事後に言っても良いが、"Estaba muy bueno (非常に美味しかったです)" と言う方が自然である。 

・しょうがない。
→ 直訳に近いのは "No hay alternativa (代替手段はない)" や "No se puede evitar (避けることは出来ない)" だが、日本の映画・ドラマ・アニメでは、『Qué le vamos a hacer! (私たちに何が出来るって言うの!)』と訳される。文脈的にネイティブならそう口にするからだろう。しかし、このスペイン語には「嘆き」や「悲観的な気持ち」が含まれている。個人的に「しょうがない」のポイントは、理不尽な場面に見舞われたり、避けられないトラブルが発生した時、その状況を受け入れながら言う表現であることだと思う。日本人らしさ。

 

【正しく伝える必要性】
以上のように、日本独自の表現を別の文化を持つ国の人に『正しく伝える』ことは難しい。私は、スペイン語にない『日本の概念 (表現)』をわざわざ『正しく伝える必要性』はないと感じる。

その良い例がスペイン人がくしゃみをした人にかける一言「Salud! (健康に!)」や「Jesús! (キリスト様!)」である。私たち日本人には、くしゃみに声をかける習慣がない。だが、その習慣を真似ることや、単語の意味を日本語の中に探すことは可能である。

外国語を学び始めて間もない頃は、どうしても「日本語の〇〇は△△語でどう言えば良いだろう?」と考えてしまいがちだが、この『日本語だったら…』にとらわれすぎていると、その国の「ネイティブスピーカーが使う表現」を聞き逃してしまう可能性が高い。

言葉の後ろにある文化と世界観を知るには、その言語独自の発想法価値観国民性の3つを知り、経験とともに理解する必要がある。

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【名前と文化】スペイン人は会話中に相手の名前を呼ばない。

基本的にスペイン人は会話中に相手の名前を呼ばない。

だから名前を忘れてしまった時、咄嗟の対処法を考える必要はない。呼ばなくても自然に近況や体調を尋ねることが出来る。相手の名前を呼ばないことが「失礼」にあたることはない。相手に悪い印象を与えることもない。

スペインに住み始め、すっかり『呼ばない会話』に慣れてしまった。

稀に個々の名前を「TÚ (英語: YOU)」という共通人称代名詞に当てはめるが、ほとんどの場合、代名詞さえも登場しない。日本人同士の会話の中にはいつも『名前』があるのに。

「KAEDEは?」

「KAEDEは見たことあるんだっけ?」

「KAEDEと今度行きたいレストランがあってさ、」

「最近、KAEDEは何してるの?」

『名前』はひとつの立派なアイデンティティなのだろう。他者から呼ばれると温かさ親しみを感じる。

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スペインの『名前と文化』について少し。

【どんな感覚?】
スペイン人から最後に名前を呼ばれたのはいつだろう?…記憶を辿らなければ思い出せないほど、普段呼ばれていない。友達と出かける時、仕事の話をする時、久しぶりにばったり道で会った時、そうそう名前を呼ばれない。

日本人も時と場合によって、関係性 (親近感) によって、心理状況によって名前を呼ばずに話しかけ、言葉のキャッチボールを続けることがある。

「あのさ、カフェ行かない?」「なあ、コップ取って」「充電器どこに持って行った?」「ちょっと、これ見て」

単純に相手の名前を呼ぶ習慣がない人、どう呼べば良いのか分からない人、呼ばなくても分かるだろうと言う人もいるが、…何となく悲しい。それと同じ気持ちになる。

しかし、スペイン人にとって『名前を呼ばれないこと』はごく普通である。

 

この文化の根本には、あえて相手の名前を呼ばなくても主語が明確になる動詞の活用間接目的格人称代名詞の働きがあると考える。(動詞の活用とは、動詞が文の主語によって形を変えること。)

例文1:
"¿Cómo te ha ido el examen?"
(試験どうだった?): 君

"¿Cómo le ha ido el examen?"
(試験どうでしたか?): あなた

例文2:
"¿Por qué te gusta viajar?"
(なんで旅行が好きなの?): 君

"¿Por qué le gusta viajar?"
(なぜ旅行がお好きなのですか?): あなた

例文3:
"¿Ya has comido?"
(もう食べた?): 君

"¿Ya ha comido?"
(もうご飯は召し上がりましたか?): あなた

【メリットだと感じる場面】
「呼ばれないこと」に対してプラスの感情を抱くことはないが、自分が話しかける側だったら、以下の2点をメリットとして挙げる。いずれも日本語にはない。

① 相手の名前を忘れてしまった時に支障なし。
→ 最後まで相手の名前が思い出せなかったとしても動詞の活用でカバー可能。名前が分からなくても、名前が入るべきところに「Amigo/Amiga (友達)」「Cariño (可愛い人)」「Guapo/Guapa (美しい人)」などの名詞を代入することで、名前を呼ぶよりも大きな『愛情』を伝えられる。

¡Hola Kaede! = ¡Hola guapa!

Gracias Kaede. = Gracias amiga.

② 少し速く話すことが出来る。
→ 名前を呼ばない分、より少ない単語数で速く話を展開させられる。(名前を呼ばない代わりに動詞は2人称の「君」を意味する形に姿を変えるため、主語が曖昧になることはない。相手から振られた話の主語が自分であることは100%ハッキリ分かる。)

【デメリットだと感じる場面】
日常生活において『名前を呼ばれない寂しさ』以外にこの文化をマイナスだと感じることはない。だがスペインに来て間もない頃は、

"¿Y tú?" (君は?)

"Si tú vas a..." (もし君がさ…)

というように「KAEDE」ではなく、人称代名詞「Tú (トゥ: 君)」で呼ばれることに対しての違和感が少なからずあったのを覚えている。まるで番号で呼ばれているかのようだった。

【どんな時に名前を呼ぶ?】
スペイン人は全く名前を呼ばない、というわけではない。

① 呼びかける時
例えば、広場で待ち合わせをしている時。反対方向を向いて待っている友達に対しては『KAEDE!!』と名前を呼び、気付かせる。しかし、それ以降は動詞の活用で会話が進む。

② 親しみを高めたい時
ビジネス会話においてはかなり頻繁に名前が呼ばれる。(友達との会話と比較して。)

③ ボイスメッセージの始め
少し長めのボイスメッセージには決まって名前付きの挨拶から始まる。(例: ."Hola Kaede, ¿qué tal? Mira...")

④ チャットの文中や挨拶
日本人同士のやり取りに比べると少ないが、チャットやメールでは不思議なことに、口語よりも名前を呼ぶ (書く)。なぜだろう。(例: "¡Feliz Año Nuevo Kaede!", "Gracias Kaede por contestar.")

⑤ 講義や講演会の中で
語り手と参加者の距離を近づけるために。参加者の脳の回転スピードをより速めるために。もっと積極的に会話へ入ってもらうために。コミュニケーションスキルのひとつとして名前を使う。(例: 質問がある人はいますか?はい、そこのあなた。お名前は?…KAEDEさんですね。では、KAEDEさんならどのような行動をすると思いますか?)

このようにスペイン人から名前を呼ばれる場面は、かなり限られている。上記5パターンのいずれかに該当するのではないだろうか。

 

【最後に】
この『名前と文化』の気づきは、海外生活ならではのものに違いない。以前、下の記事の中でスペイン人やイタリア人の名前と日本人の名前の違いについて触れたことがある。

スペイン生活開始からもうすぐ丸8年。日本人の名前を呼ぶ機会が減った今、日本人の『名前』は心惹かれる存在となった。呼ばれるのも好きだし、呼ぶのも見るのも好きになった。それぞれの漢字には家族の願いが込められているところが特に素敵だ。スペイン人の名前の多くは、聖人の名が由来となっている。おじいちゃんもしくはおばあちゃんの名前と孫の名前が同じなんてこともしばしば。

それゆえ、名前の被りが激しい。

蛇足だが、スペイン版【男女別: 人気名前ランキング2021】をシェアしておく。

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長くなったが、まとめると『名前を欠くコミュニケーション』で溢れるこの国の言葉にはどこか寂しさを感じる、日本の『名前を呼ぶ文化』は温かい、という今日のこの記事。

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【日本語の文構造】スペイン人が「結局何が言いたいの?」となる理由

スペイン語では、自分の言いたい内容をシンプル且つダイレクトに言わないと正しく相手に伝わらない。

今日は、それが顕著に現れる興味深い出来事があった。

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【料理学校での出来事】
弟が秋から通うバルセロナの某専門学校へ一緒に入学許可書を取りに行った。

私たちはスペインの料理学校がどのようなシステムなのか、よく理解しきっていなかった。学費に制服のお金が含まれていることは聞いていたが、あとの道具や衣服はどこまで含まれているのか知らなかった。

包丁は、当日までに指定のものを用意するのかな?料理人たちは自分の包丁にこだわるから各々が持参出来るんじゃないかな?

弟のスペイン語レベルは、B2.2 (上級に限りなく近い中上級レベル)。もう十分、ネイティブと普通のスピードで意思疎通が出来る。自分の考えや質問もしっかり伝えることが出来る。万が一、分からないことがあった時のために私は付き添っていた。

証明書を受け取り、学校を出る前、弟が事務員さんに包丁に関して次のような質問をした。

「すみません、包丁についてお伺いしたいのですが。僕は日本で買った和包丁をスペインに持って来ていて、普段はそれを使用しています。こちらの学校で学ぶ際には、別に買い直す必要があるのでしょうか?」

スペイン人の女性は、弟が言いたい内容を正しく理解出来なかった。私は、弟が言いたい内容を事前に知っていたが、スペイン語を隣で聞きながら「ん?」となった。この文の構造では、意図と異なる解釈をされるだろうと懸念した。

弟は、文章の最後に大事な内容を持ってきた。日本語の構造と同じように。

しかし、上の伝え方をすると、スペイン人には次のように聞こえる。

『僕は日本からわざわざ自前の包丁を持って来ているから (こだわりがあるから)、授業でも自分のを使いたい。もう持っているのに、どうしても買い直さなくてはならないのか?』

なぜ、こう聞こえるのか?

その主な理由は、

・スペイン語と日本語の文の構造の違い
・会話のメインとなる箇所 (意識の焦点) の違い

では、どのような文の置き方やアプローチの仕方で話を進めていたら正しく理解してもらえていたか。

 

【解決策①】よりシンプルな文章で話をする。

「すみません、包丁についてお伺いしたいのですが。こちらの学校で学ぶ際には、自分の包丁とは別に、新しい指定のブランドのものを買い直す必要があるのでしょうか?」

スペイン人はストレートに伝えたいことを伝える。スペイン語では、話のメインを文頭に置く。それゆえ『日本から持ってきた』『自分の』『和』という形容詞や、『普段からそれを使っている』というプラスアルファの情報を付け加えると、それらをトクベツな情報 (あえて言うくらい重要な内容) と捉えてしまう。そちらに意識が行ってしまう。

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上の図は、数日前に似た疑問を抱いた際のメモ。頭の中。

会話中、無意識的ではあるが、人はどこに意識を置きながら聞いているのか。スペイン語話者と日本語話者の文の構造と意識の違い…。最近とても気になっている。

閑話休題。

【解決策②】よりストレートに質問をする。

「すみません、包丁についてお伺いしたいのですが。学費の中に包丁のお金も含まれていますか?」

最初の弟の文章と比較すると、かなりの情報量がカットされている。しかし、スペイン人と話す時はこれで良い。これ以上の情報を文章に含みたいのであれば、この後に持ってくるべきである。

「すみません、包丁についてお伺いしたいのですが。学費の中に包丁のお金も含まれていますか?実は、日本から自分の包丁を持ってきておりまして…」

日本語ネイティブの私たちからすると、やや単刀直入かもしれない。何かを聞く前の『前置き』や枕詞がない。なぜその質問がしたいのかの説明もない。

「こうこうこういう理由で、それを教えていただきたいのですが…。」

「…という訳で、僕が本日お伺いしたい内容は…。」

スペイン人が、文と文を繋ぐ時に "porque (なぜなら)" や、"lo que pasa es que (それが実は)" を多用していると感じる理由は、まさに修飾語や特別な情報の位置の違い (有無) である。

大人数で会話をしている時、発言の途中で話者が変わることがあるが、『相手が話し終わるのを待たずに横入り』は、いかなる場面もマイナスになるわけではない。文頭のみでお互い会話が出来ている (相手の言いたいことを汲み取れている) 国や文化も存在する。

【日本風フォロー】
料理学校の話に戻る。

スペイン人女性 (事務員さん) は、弟の言葉を聞いた後、

『自分の包丁を使いたい気持ちは本当によく分かります。しかし、生徒さんには全く同じブランド、モデル、サイズの包丁を使うように指示していますので、本当に申し訳ないのですが…。』

と、お詫びを述べた後、理解を求めた。

それを聞いた弟は、

「はい、それは理解しています。ただ、僕は自分が日本から持ってきている包丁を授業で使えるのか、それとも包丁を自分で買わないとダメなのかが知りたかっただけです。」

話が思う方向に進んでいなかったことを伝えた。しかし、これも日本風だった。彼のスペイン語の文法は100%合っていたのにも関わらず、またしても上手く伝わらなかった。

【不味かった点】
"Sí, lo entiendo. Pero yo solo quería saber si..." の、"Pero (でも)" だ。理解出来た (元から出来ていた) のであれば、繰り返してもう一度言う必要がない。

もう一度言うことによって、スペイン人は、 理解していないと感じる。なぜなら、多くのネイティブは、"Sí, lo entiendo. (はい、僕はそれを理解しています。)" または "No, no lo entiendo." (いえ、理解出来ません。) で話を完結させるから。

❌ 〇〇だと思っていましたが、理解出来ました。

⭕️ 理解出来ました。

この場面の "Pero" には、「理解しているけど、でも…」の不服なニュアンスが含まれる。

では、思い違いをされにくい返答の仕方 (話の持って行き方) は…?

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私なら、"Sí, lo entiendo." 以上の内容を口にしない。だが、どうしても「自分が言いたかった内容はそうではない。違う風に取られてしまっていたんだ。」という弁解を後付けしたい場合は、"Pero" という中性的な (Sí/Noではないという意味で) 単語を用いず、要点を突いて「私が言いたかったのは〇〇ではない。」と言う:

, lo entiendo. No estaba preguntando si podía traerlos o no. Sino, quería saber si los cuchillos también estaban incluidos en el precio del curso. Pero ahora sí, todo está claro. Muchas gracias.

(はい、それに関しては理解しています。私は包丁を持参可能なのかを聞いていたのではなく、包丁が学費に含まれているのかを聞いていたのです。しかし、もう全て鮮明に理解出来たので大丈夫です。ありがとうございました。)

日本人に対して「私はそれを聞いていたのではない」ときっぱり言うと、失礼な印象を与えてしまうだろうが、スペイン人と話す上では普通である。すんなり『あ、そうなの?だったら良かった!』と言ってくれ、誤解なくやりとりが進む。

文頭に《メインの情報!》という意識の焦点が当たる。

「結局何が言いたいの?」となる理由は、私たちの言葉が不明瞭だからだろう。白黒をはっきりさせたいスペイン人に対して自分の考えや、伝えたい内容を述べる場面では、遠回しな表現を避けた "Sí o No" がちょうど良い。

スペイン人はたくさん話す上、文章の中に含まれている情報量も多い。しかし、重要と感じる『情報の種類』が私たちと違う。

…と、2人で文化の違い・文の構造の違いをしみじみ話しながら歩いた帰り道。

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【もう1つ気になった点】
日本人は、最後まで相手の話を聞くのに慣れている。相手の意見に同意出来なくても、明らかな勘違いを分かっていても、とりあえず最後まで聞く。それから訂正したり、言葉を補ったりする。しかし、スペインでは、誤解が分かった時点で早めに切り替えた方が良い。

"No, perdón. No te estoy diciendo eso."
(ごめん、そう言ってるわけじゃないんだ。)

"No. No es así."
(違う、そうではなくて。)

現に、女性のお詫びと説明に対して『いや…』と言うことなく、頷きながら聞いていると、徐々に雲行きが怪しくなり…。「先生にも一応、包丁について確認してみましょう。」と、奥に連れて行かれ、相当、和包丁にこだわりを持っている新入生のような雰囲気になってしまった。ただ、軽い確認をしたかっただけなのに。

 

【終わりに】
以前にも記事 (【会話力は文頭で決まる】効率よく学ぶスペイン語 ㉓) の中で『文章の順番の大切さ』に触れたことがあったが、今回の件を通して一層、自分の中にある何かが明確になった。

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でも、もっとよく考えたい。

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【人間関係経験値】物は言いよう、書きよう、考えよう。

物の言い方には、話者の人間関係における経験値がそのまま表れる。質も量も、よく分かる。

若いからと言って、経験値が低いとは限らない。人生経験が豊富だからと言って、人間関係を上手く築けるとも限らない。

お互いが気持ち良い時間を過ごせる『会話』とは?

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相手と場面にふさわしい言葉を選びながらコミュニケーションが取れるスキル』を持っている人は、国や言語に関係なく、一生得をする。

「夜・夜分」

「住所・お住まい」

「もらい物・いただき物」

「嫌い・好みではない」

「してあげる・させていただく」

「直接・直々に」

きちんと話せる人、書ける人が、この世界、生き残っていく。どんな関係でも、仕事でも。感じの良いお客さんには、商品やサービスに+αをつけたくなる。好きな友達には、特別な日でなくとも何かプレゼントを贈りたくなる。話が弾む相手と会話がしたい。この人のために何かしたいと思わせられる頼み方に応えたい。…人間だから。

 物は言いよう

毎日何気なく使っている日本語だが、言い方ひとつで、相手に与える印象は大きく変わる。

綺麗な言葉遣いの人は誰の目にも魅力的に映る一方で、汚い言葉遣いの人は、知らない間に誰かの減点対象になっている。

『敬語』を完璧に使いこなせれば良いと言うものではない。相手のことを思った肯定的な言葉や、心が込もった言葉を発することもまた重要である。「同じこと」「同じ一言」でも、相手を喜ばせたり悲しませたりする。

現在は、リモートワークで、取引先や上司とメールをする回数が増え、これまで以上にチャットやSNSを活用する機会が増えている。だからこそ、語彙を見直す人も増加しているのではないだろうか。

【友達との会話の中で】
どっちでも良い。
➡︎ どっちも好きだから、選んで良いよ。

心配させてごめん。
➡︎ 心配してくれてありがとう。

あれ、来たの?
➡︎ あれ、来てくれたの?

代わりにやっといて。
➡︎ 代わりにしてくれたら嬉しい。

暇な時に書いておいて。
➡︎ 時間がある時にでも書いておいて。

来い。
➡︎ 来て。

あいつはケチ。
➡︎ あいつは節約するタイプ。

【店員さんに対して】
なんで今日はこんなに混んでるんですか?
➡︎ 今日はいつもに増して人気ですね。

(デザートは) 大丈夫です。
➡︎ 結構です。大変美味しいお料理でした。

(注文した料理は) すみません、まだですか?
➡︎ もう少しかかりそうですかね?

【目上の方に対して】
オレ的には良いと思います。
➡︎ 個人的には良いと思います。
➡︎ 僭越ながら、私 (わたくし) も意見を述べさせていただけるのであれば、先ほどの案は素晴らしいと思います。

ここで働くことになりました。
➡︎ こちらで働かせていただけることになりました。

行けたら行きます。
➡︎ 出来るだけ行けるように時間調整をしてみます。

それはちょっと無理ですね。
➡︎ それは少し難しいですね。

あの書類、もらえないんですか?
➡︎ あの書類、いただくことは出来ますか? 

ヒント教えてもらっていいですか?
➡︎ ヒントを教えていただけると助かります。

 

対面より『活字でのやりとり』に気をつけた方が良いのかもしれない。その文字が自分を形作り、人間としてのイメージまでをも相手に植えつけてしまうから。媚びを売ったり、取り繕ったりするのではなく、素の状態をそのまま (過不足なく) 評価してもらえるように気をつけるべきである。

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分別は、自分次第で変えられる。するかしないか。書くか書かないか。言うか言わないか。

高校生でも100点満点の言葉遣いをしている子がいる。25歳を感心させる大人顔負けの19歳がいる。この事実を目の当たりにした日から、年齢に関係なく出来る子は出来る。している子はしていることに気がついた。

一社会人として見られる場では、綺麗な言葉遣いが『出来るか出来ないか』の基準で『好感度の高さ』や『教養・品性』をはかられる。

 

物は考えよう

〇〇が出来なくなった
➡︎ △△が出来るチャンスが生まれた

超プラス思考の私は、マイナス思考の人を完全には理解しにくい。(無論、逆もまた然り。) 何を言っても「でも…」と「だけど…」で返してくるパターンであっても、一度は面と向かって話をする。…ただし、一回だけ。『時間の無駄』は嫌いだから、お互いのためにならないと思えば、話題を変えるか、本心に逆らい、その場しのぎの同意をする。

一向に意見と意見が交わらない場合、相手にとってもその時間は有意義なものではないだろうから、張り合うことはしない。

ネガティブな人は、何かを求めて (プラスな見解が欲しくて) その発言をしているのか、それともそれがその人にとって「普通」なのか、よく分からない。

「物は考えよう」である。

捉え方や解釈の仕方が変われば、世界 (事象) は一秒前と違って見える。

今の自分に満足出来ていない人は、自ら不幸になりに行っているように思える。元を辿れば、『世界の見方』に問題がある。自分や相手のみならず、周りにいる人たちさえ、誰も得をしない悲観的なことを口にしたり、余計な一言を放ったり。せっかく手に入れた機会や幸せを自ら「損」に変えてしまっているような、勿体無い言動を見聞きすることもある。

現実から逃げたり、自分を負の方向へ追いやるエネルギーを、チャレンジに向かって走るポジティブなエネルギーに変換すれば良いのに、と惜しく思う。まず前向きな思考を日常に取り入れて行くべきだろう。

忙しい
➡︎ まだまだ頑張る

出来ない
➡︎ とりあえずやってみる

時間がない
➡︎ 時間を作る

あの人嫌い
➡︎ 良いところを探そうとしてみる 

言い方次第で自分の短所は、長所に変わる。目の前の相手が短所を口にした時、サラッと「それは〇〇な証拠だね」と、フォロー出来る機転も良い人間関係を築く上で大切だ。

優柔不断な性格
➡︎ 物事に慎重な性格

愛想がない人
➡︎ 裏表がない人

飽きっぽい性格
➡︎ 多趣味で好奇心旺盛な性格

気を遣い過ぎる人
➡︎ 人一倍気遣いが出来る人

無口な人
➡︎ 物静かな人

【まとめ】
気持ち良い『会話』には、お互いの気遣いや優しさが含まれている。これは初対面〜家族まで、全場面において当てはまること。

プライベートも仕事も『成功』させられている人は、周りをどんどん引き込むような、自然とみんなから好かれているような魅力的な人である。

物は言いよう、書きよう、考えよう。

【つぶやき】
言語哲学を専門としているからなのか、海外生活6-8年目は日本語に惹かれる時期なのか、社会に出たからなのか分からないが、相変わらず日本語の奥深さに感銘を受け続けている。たまに日本語を「堅苦しい」と言う人がいるが、それには同意出来ない。どんな言語にも「丁寧な言葉」や「敬語」は存在する。日本語の謙譲語とイコールな種類はなかなか無いが、何語でもそれに匹敵する言い回しや枕詞で相手を立てることが出来る。

2019年4月から気になり始め…

現在、研究としては終盤。巻かなければ。本当に巻かなければ。カレンダーを見るともう、2021年3月25日。下り坂を駆け下りている気分である。【ラウレア日記中編】…いつになることか。

イタリアの大学には、卒業論文を提出すべき期日がない。1人1人が自由に自分のペースで進めて行く。…このような環境下にいると、次の2点が頭をよぎる。

・縛りが一切ない単独な環境で走るペースを落とさない難しさ。継続の難しさ。

・やはり人生は終わりがあるから良い。1年は365日、1日は24時間という括りがあるから私たちは常に何かを目指して進んでいけるのだろう。

卒論のデータ集めと並行してバルセロナ大学は、イースター連休直前の試験とプレゼンと論文提出の山。

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春はそこまで。

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【心理学と哲学の違い】バルセロナ大学哲学部生が分かりやすく説明してみた

おとといの夜、国語が大のニガテな弟 (21歳) から電話がかかってきた。

心理学って何?哲学って何?辞書引いたけど分からんかった。 

『弟が分かる説明 = 全員が100%分かる説明』…(笑) 出来るだけ日常的な言葉を使いながら、頭に浮かぶ限りの違いをどんどん書き出してみる。

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⚠︎ 個人的な見解。

【10の違いをピックアップ】f:id:kaedetaniyoshi:20210318185434j:plain【一言で言うと…】
心理学 ➡︎ 人間の心の動きを理解したい
哲学 ➡︎ 世界の在り方を理解したい

【心理学】
語源は、ギリシア語の、

Psyché+logos = 魂の研究

人間の心 (精神) と行動を研究する学問であると言える。私たちが生活の中で受ける刺激 (音、記号、感覚、痛み、熱い、冷たい、光など) を分類し、これが『行動にどのような影響を与えるか』を説明しようとする。哲学より、具体的。人間はどのように感覚を通して情報を受け取り、解釈をするのか。

〜心理学的問題例〜
・過去の約束の中で最も大切だったものは?
・自分の人生に影響を与えた人物を3人挙げるなら?
・冒険をするならどこへ行きたい?なぜ?
・どういう人を「真面目」だと感じる?
・自分の性格の中に嫌いな部分はある?

【哲学】
語源は、ギリシア語の、

Philo+sophia = 智への愛

哲学にはゴールがないが…。強いて言うなら、現実を理解し、上手く説明すること。扱う範囲が非常に広く、モノの存在、知識、真実、道徳、美、心、言語、宗教、宇宙、医学、論理など、超越的な (人間が考えられる域を超えた) 問題にフォーカスを当てている。心理学と違い、道具や研究施設を必要としない。概念の分析や思考実験、カテゴリーの区別など、生まれた時から持っている能力 (考える力) を通して研究を行う。

カテゴリーの区別の例は、

「良いこと・悪いこと」

「生・死」

「人間・ロボット」

この『分類の区別の基準』をきちんと筋道を立てて説明していけるのが哲学者。

〜哲学的問題例〜
・「本物」を見極める方法は?
・誰も見ていなかったら悪いことをしても良い?
・運は存在する?
・命の重さは人によって変わる?
・「愛する・愛される」...簡単なのは?

 

【もう少し区別をしたい人へ】
心理学も哲学も両方『人間の行動』を分析するが、違いは…

・アプローチ
・目的 (= 目指すゴール)
・道徳や倫理の概念
・言語

である。心理学は、経験と統計をベースとする。実験と仮説と実験。人間の行動を理解し、そこから心の治療法や人間関係の分析、コミュニケーション能力の向上を検証する。

哲学は、『人間の正しい行い』についても研究をするが、心理学はしない。

哲学: 人が守るべきルールとは?
➡︎ 大切な根本 (原理)

心理学: 国によって良いことと悪いことが違う場合がある。それぞれどのようにルールが存在しているのだろう?
➡︎ 尺度 (基準)

言語に関しては、

哲学: オリジナルの言い回しや、表現を自由に使って自分が最も理解しやすい書き方をしよう!まだ誰も使ったことがない単語を生み出しちゃおう!

心理学: 世界中の研究者が理解出来るように、協力して研究が行えるように、言葉の意味を揃えよう!

哲学は、言葉の意味を理解するより前に、各哲学者の本を読みあさり、その『哲学者』を知ることに多くの時間を費やす。まずは、その人の思考回路を把握しなければならない。そして、書き残された言葉の意味を出来るだけ本意 (本当の考え) に近い状態で拾い上げ、更に磨きをかける。

解剖用語が世界のどこの国でも共通のラテン語で書かれてある理由と、心理学の『言葉の分かりやすさ』は似ている。

【豆知識】
哲学者が辿り着いた答えと、心理学者が導き出した答えが一致しないことが頻繁にある。

以上。

 

ここから下は、専門用語や偉人の名前など加わり、小難しい内容となる。心理学と哲学の歴史をざっくり知りたい人用。

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【心理学の歴史】
個人的に重要だと思う10の要点を挙げると…

① 紀元前4世紀頃にソクラテスとプラトンが心理学の基盤となる考えを作った。それに影響を受けたアリストテレスが、感覚や記憶について筋道を立てながら論じ始めた。 

② 中世 (476年-1492年) のヨーロッパは、キリスト教が強い権力を持っていた。

③ デカルトが身体と魂の『二元論』について、スピノザが『心は環境の影響を受ける』と述べた数十年後に出版された、ヴォルフ (Christian Wolf) の本から「心理学」という言葉が流行り始める。

④ 18世紀後半にフランス・ヨーセブ・ガルが『骨相学』を生み出す。動物磁気にも注目が集まる。

⑤ 19世紀に『科学心理学』というジャンルが誕生。生物学が発展する。この時代に重要な人物は、PIERRE PAUL BROCAと、GUSTAV THEODOR FECHENERと、CARL WERNICKEの3人。脳のブローカ野とウェルニッケ野は、BROCAとWERNICKEの名前から来ている。ダーウィンの進化論も同時期に大きな影響を与えている。興味がある人は、遺伝学者として有名&ダーウィンの従兄であるFRANCIS GALTONと、名精神医学のBENEDICT MORELも合わせてチェック。

⑥ 1879年に実験心理学の父と呼ばれているドイツのWILHELM WUNDT (ヴィルヘルム・ヴント)が、世界初の心理学実験室を作った。HALLもアメリカに似た実験室を作った。

⑦ 19世紀後半から20世紀前半にかけて、原理主義の代表とも言えるWILLIAM JAMES (ウィリアム・ジェームズ) が、非常に面白い『意識の流れの理論』を提唱した。一方で、構造主義代表のEDWARD TITCHENER (エドワード・ティチェナ=) が、心の構造を展開した。

⑧ ロシアに『反射療法』が出来た。重要人物は、IVAN PAVLOV (イワン・パブロフ)と、ロシア反射学の創始者VLADIMIR BEKHTEREV (ウラジーミル・ベヒテレフ) の2人。ここから『精神分析学』と『行動主義心理学』が生まれる。

⑨ 20世紀になると、超有名なフロイトが精神分析学を発展させ、現代の心理学の基盤が作られた。心理学の起源はココだと考える学説が多い。生物学、医学、薬学が一気に発展し、行動神経科学、神経心理学、精神薬理学が生まれた。人間の行動や心理にフォーカスが当たり始める。

⑩ 1960年代から『認知心理学』が登場。アメリカのAARON BECK (アーロン・ベック)、ALBERT ELLIS (アルバート・エリス)、そして認知臨床心理学の父と言われるGORGE KELLY (ジョージ・ケリー) が、この時代の鍵となる。『人間性心理学』もこの頃に生まれた領域である。深く学びたい人は、CARL ROGERS (カール・ロジャーズ)と、ABRAHAM MASLOW (アブラハム・マズロー) も。

【哲学の歴史】
6つにまとめてみた。

① 西洋哲学の起源は、紀元前7世紀の古代ギリシア時代。最初の哲学者と言われているのは、ギリシア七賢人の1人とされるTALES DE MILETO (タレス・デ・ミレート)。彼は、哲学者・天文学者・数学者だった。

② プラトンやアリストテレスが登場するのは、紀元前4世紀頃。神話や宗教に依存することなく、合理的な分析と議論を通して全ての宇宙的かつ人間的現象を説明しようとしたギリシア哲学は、紀元前7世紀から紀元前3世紀に興った。

③ 1世紀から15世紀のルネサンスまで、西洋を支配していたのは、キリスト教思想。キリスト教やカトリックの思想に大きな影響を与えたのは、AGUSTÍN DE HIPONA (アウグスティヌス) と、TOMÁS DE AQUINO (トマス・アクィナス) だった。この時代の特徴は、哲学的思考をカトリック神学へ従属させること。そして、全ての人間文化もカトリック教会へ奉仕すること。

④ 16世紀になると、デカルトが登場し、知識と人間の反省 (目の前に現れることについての思想や意識を自分の内面に向け、真の知識を得ようとする行為) にフォーカスが当たる。

⑤ 15世紀から17世紀にかけての科学革命は、西洋だけでなく、世界の文化史を変えた。

⑥ 17世紀から18世紀にかけては、啓蒙主義と呼ばれる知的運動が起こる。中世的な (古くさい) 社会や思想を打ち破り、新しい時代の思想を人々に教えて行こう!という運動。重要人物は、経験論のヒュームと、合理主義のカント。

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【母の教え】興味がないことに興味を持つ方法

全く関心を抱けない分野、面白くない授業、好きになれない先生を『好きなる方法』を昔、私は母からこう習った。

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【母の教え】
先生を嫌いになった要因 (態度、性格、喋り方など) や、授業が面白くない理由は追求しない。そこに不必要なエネルギーを使わない。自分の見方を変える。そのために、いくつかの「仮定」を立てる。

例えば、

大事に思う人ver.
➡︎ 既婚者であれば「この先生を好きになって結婚した人がいるのね」「誰かにとっての大事なお父さんなのね」と思い、この角度から良い部分を探す。誰しも必ず『大切な人』である。先生の家庭内役割や職場内の立ち位置 (ストレスが多いであろう中間管理職) を想像することで同情心を煽る。…これは人間性を好めない相手の時に有効。

なぜその教科が好きなのかver.
➡︎ 何百とある中から、なぜこの人はこの教科を専門に選んだのかを考えてみる。「現代文じゃなくて古典に惹かれたのね」「漢詩のどこに魅力を感じているのかな」と、その人 (分野) を少し遠くから客観的に見る。

それでも好きになれないver.
➡︎ それでもダメなら、「その1人 (苦手な先生や人) のために、自分がマイナスな気持ちになるのは損だ」「その人が原因で、自分がマイナス (低い点数やストレス) を被るなんて損だ」と思ってみる。

このように様々な角度から考えることで、徐々に『嫌い』や『苦手』が薄まっていく。相手を変えるのは難しいが、自分側を変えるのは簡単である。

 

【未だに実践している話】
好きになれそうにない人と接する時は、ほぼ無意識的に「この人も誰かにとっての大切な人」だと考えるようになった。好奇心旺盛でありながら、時に無関心にもなれる性格が最も楽だと思う。(もちろん、無関心は態度に一切出さない。相性がイマイチなだけ。相手を傷つけることなく自然に離れる。)

大人になると、子供の頃よりは自由に、興味がないことや環境、嫌いな人を避ける選択ができるようになるが、嫌いなものを避けてばかりの人生ではいけないことに気づき始める。それでは何も解決しない、1mmも成長しない、ということに気づく。この「成長」と「ストレスフリーな人生」のバランスが大事。

【他人に興味がない人】
以前、「他人に興味がないが、このままでも良いのか」という相談をもらったことがある。興味が湧いてくる人は、この世界に必ず存在するから、その人と出会えるまで焦ることなく待っていれば良いと思う、と答えた。ただ、他の人とのコミュニケーションを完全に閉ざしてしまうのはダメ。挨拶だけでも、必要最低限のやりとりでも良い。

相手が何かを話してくれている時は、自分にとってそれが大切か、面白いか、好きか、で判断をして発言するのではなく、いつも「相手にとって」で物事を考えていくと、少し世界が広がるかもしれない。相手が好きなものを無理に好きになる必要はないが、同じように「価値」を感じようとする気持ちがポイントだと思う。 

 

 【おまけ: 母の教え②】
英語 (言語) の魅力は、海外旅行+同年代の歌手を紹介する。

15歳の頃、母からジャスティンビーバーを教えてもらい、洋楽を聞くようになり、英語と翻訳に興味を持ち始めた。2011年5月17日には当時小学生だった弟と一緒にZEPP OSAKAまでコンサートへ行ったほど、好きになった。

「勉強しなさい」「〇〇をしなさい」と強制するのではなく、経験や機会を提供して興味を引き出す。

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【ブーム到来】哲学への注目度が高まっていることについて

どうやら日本に『哲学ブーム』が到来しているらしい。

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【日本人と哲学】 
なぜ、ここ数ヶ月の間に哲学への注目度が著しく高まったのだろう。コロナが影響しているのか、日本のテレビで特集があったのか、…分からない。しかし、面白さに気づいてくれる人が増えるのは、非常に嬉しいことである。

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哲学と聞くと、難しいイメージを抱かれることが多いが、実際は、ものすごく身近なテーマである。近すぎて見えないほど、日常に、当たり前に存在している。ただ、着目していないだけで、機会があれば誰でもこの『思考』の魅力にハマりうる。

【哲学と教育】
スペイン、イタリア、日本。この3ヶ国の義務教育期間に履修する科目には違いがある。その1つが「哲学」。

スペイン ➡︎ 必須科目
イタリア ➡︎ 選択科目 (かなり稀)
日本 ➡︎ 道徳はあるが哲学はない

日本人は義務教育期間中に『哲学』を学ばない。ついでに言うと『宗教』も学ばない。

私の頭の中では、

倫理 ➡︎ 空中 (人の身長の高さまで)
道徳 ➡︎ 地上
哲学 ➡︎ 地下と宇宙

倫理は、人として守るべき・従うべき道。道徳は、正しく行動するためのルールで、基盤に「善悪の判断」がある。哲学は、この2つとは遥かに次元が違う。道徳と倫理は「教育」の範疇 (教えることが可能な学問) であるが、哲学は「人間の思考」と「言葉」の範囲を限界としている。

倫理や道徳において大切な「善悪」は、国や文化によって変化するが、哲学はいわば人間に共通する「知の美しさ」。

バルセロナ大学に入った当初、スペイン人の教授に「小学校から高校までの間、道徳と倫理は習ったけど、哲学は習っていない」と言うと、かなり驚かれたのを今でも覚えている。

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【道徳が哲学になったら】
もし、小学校の授業の道徳が哲学になったら…?

日本の「道徳」では、主に3つのことを学ぶ。

1. 道徳的価値
2. 人間理解 (寛容)
3. 他者理解 (共鳴)

いずれも、自らの経験や考え方を振り返りながら物事を見ていく。教科書を読み、登場人物の気持ちを理解したり、相手の気持ちと自分の気持ちを比較したり、親切や思いやりについて学ぶ。小学校という空間から社会に出た時に、様々な角度から物事を捉えれるように、社会で上手く他人とやっていけるように。1人1人が「自分と違う立場や考え方」を理解しようとするように。

小学校で取り扱う道徳テーマ

1年生: 正直な心「金の斧」
   友達を思いやる心
   みんなのものを大切に
2年生: 大切な命
    相手の気持ちを考える
3年生: 素晴らしい日本の文化
   思いやりを大切に「一輪の花」
4年生: 本当の仲間と真の友情
    助け合う、共に生きる
5年生: 節度ある生活
    相手の立場を考える
6年生: みんなのために自分のために
    感謝する心
    夢に向かって
    自分の良さを生かす

これらは一見、ベクトルが「自己」に向いているかのように見えるが、実は大多数が「他者」に向いている。そこが哲学と大きく異なる点だと感じる。

ではこれを哲学的なテーマに変えるとどうなるか。

1年生: 正直な心 ➡︎ 正直とは?
   思いやる心 ➡︎ 思いやりとは?
   みんなのものを大切に ➡︎ なぜ?
2年生: 大切な命 ➡︎ 命の価値はどこ?
    相手の気持ちを考える ➡︎ 可能?
3年生: 日本の文化 ➡︎ 文化とは?
   思いやり ➡︎ 思いやりの要素は?
4年生: 本当の仲間と真の友情 ➡︎ 真とは?
    共に生きる ➡︎ 存在するとは?
5年生: 節度ある生活 ➡︎ 中庸とは?
    相手の立場を考える ➡︎ 他者とは?
6年生: 皆のために自分のために ➡︎ なぜ?
    感謝する心 ➡︎ 感謝とは?
    夢に向かって ➡︎ 夢とは?
    自分の良さを生かす ➡︎ 自己とは?

日本人は、幼少期の道徳授業のカリキュラムが影響しているからか、与えられたテーマやシチュエーションに感情移入をするのが得意である。だが一方で、「なぜ?」と物事の根本に迫るチャンスを逃している。道徳の授業を受けて、生徒が思考出来る範囲は、過去の自分の経験〜相手の気持ち。

 

【何が変わるか】
もし、哲学が導入されたら…

・細やかな気配りの精神が薄れそう。
・「個」が強くなり、日本人独特の協調性に欠けそう。
・口数が増えそう。

日本の小学校で習う道徳の授業を、中学高校で習う倫理の授業を、『哲学に変えれば良い』とは思わない。私は、日本人の美徳や、他者への尊重、他者との協調性が好きで、今のままの国民性であって欲しいと思うから。

【スペイン人とイタリア人】
『哲学』を義務教育期間で習うか習わないか。この違いは「人間性」と「思考力」に少なからず影響すると私は考える。スペイン人は、イタリア人よりも、物事を幅広い角度から見ることが出来る。そして、彼らの意見や説得には論理性と一貫性がある。

【哲学っぽい】
日本人は『哲学』を習わない一方で、「哲学っぽい」という言葉を日常的に使っている。見聞きするたびに『その意味 (その人が理解している哲学の要素)』を知りたいと思う。

哲学っぽい歌詞

哲学っぽい独り言

哲学っぽいテーマ

哲学っぽい感じ

【無知を知る学問】
哲学を学び始めて、まず「自分が無知」であることを知った。ソクラテスが唱えた『無知の知』そのもの。クラスメイトと教授と、討論の日々が始まった。

物事の本質は知り得ない?

他者と共有可能?

「痛い」という知覚は、隣の人の「痛い」と同じ?

存在するのかも分からない神を崇める人の多さ。…神の存在証明とは?

認識とは?

人の知識は生まれた瞬間は、白紙?

もし、この世界に偶然など存在せず、全て「必然」であるならば、それは誰がどんな意図で決定している?

自由意志は存在する?

現代社会において多くの人が求める『富・成功・名声』、望み通りそれらを得た時、彼らは満足するのだろうか。私はしないと思う。人間が求める (行き着く) 最終ゴールは、いつの時代も変わらず「幸せ」と「愛」。

【このブームはどうなる?】
続いてほしいが…。一時的なものであると予想する。そう考えるいくつかの要因のうち、2つを簡潔に書き出すと、

①「日本語」は、あまり哲学に適していない言語。(道徳と倫理には適している。)

② この種の「考えること」に慣れていない人が多いため、深堀されにくい。過去の偉大な哲学者たちの「名言」は好まれる傾向にあるが、答えのない問題や課題に向かって行く能力が西洋やアメリカの哲学に追い付かない。

しかし、「あ〜」で終わらせず、面白さをしっかり掴める人が増えれば、ブームは続く。

(例) ニーチェの名言

The future influences the present just as much as the past. (過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。)

➡︎ 未来が現在に影響を与える?
➡︎ どういうこと?
➡︎ どんな夢を思い描くかによって、今の行いや、努力が変わってくる。
➡︎ つまり…?

 

今日の問い
最後に、哲学的問題を出して終わる。

色を見たことがない人にあなたはどのように「色」を教える?

私は…

感情や感覚で教える。青は悲しい気分になった時の色。緑は森へ行って、綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込んだ時の色。赤は、やる気が出た時の色。もしくは腹が立った時の色。ピンクは誰かを好きになった時の色。黄色は太陽や光が眩しい時の色。黒は目を閉じた時の色。

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【思いやりと言語】自分はまだまだ日本人だと思う瞬間

ヨーロッパ生活8年目に突入するまで、あと53日。

これだけ長い時間、日本国外で生活をしていても、未だに「自分はまだまだ日本人だな」と気づく時がある。同時に、『真の異文化理解』も垣間見えてくるから、私はこれをプラスに捉えているが…。

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【最近のエピソード】
目の前で男性同士の口論が始まった。登場人物は以下の、3名。

・友人A (スペイン人)
・友人Aの彼女 (スペイン人ではない)
・友人Aのお客さん (ドイツ人)

お客さんが私の友人Aに、滞納していたお金 (施設利用料数万円) を支払わなかった。誰が聞いても「なんで?!」となるであろうシチュエーション。…非常識という言葉では表しきれないほど、払わない理由がおかしかった。

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友人Aは、彼女と私の目の前で喧嘩をしたくなく、極力、感情を抑え、理性を保とうとしていた。しかし、あまりにも理不尽な相手の態度に…冷静さを持っていかれそうになっていた。

10分、15分…

これはAが折れない限り、ラチがあかない。でも、本来であればお客さんが払うべき大きな金額 (5万円超) を彼が負担するのもおかしな話…。

と私は思っていた。

その時、彼女が「もうそこまで!(¡Ya está!)」と口を開いた。重い空気の中、「これだけの…」と次のフレーズを言いかけた時、Aがいつもの温厚な口調で『Cállate (カジャテ)』と彼女に言い放った。

『Cállate (カジャテ)』=『黙れ』

もしかすると『黙れ』ではなく、『黙って』なのかもしれない。でも、私には『黙れ』に聞こえた。スペインに来て5年目の非スペイン語ネイティブの彼女には、どう聞こえたのだろう。

【日本語の細かさ】
日本語ほど、自分の細かな気持ちや、相手への思いやりを言葉で伝えられる言語はない。…心からこう思う私は、まだまだ日本人。ずっと日本人である。

黙れ。

黙れや。

黙って。

黙ってよ。

黙ってってば。

黙ってよね。

黙ってて。

黙っておいて。

黙っててよ。

今回は「黙って」を例に上げたが、こういったバリエーションを日本語以外の言葉に乗せられないと気づいた時、寂しくなる。声の調子や文脈によって多少のニュアンスは区別をつけられるものの、やわらかい印象や気配りは…やっぱり動詞の命令形に含ませきれない。改めて日本語の語尾 (終助詞) は、素晴らしい。

私はまだスペインでもイタリアでも笑いながら冗談を言い合う場面以外で『黙れ』と言われたことはないが…

🇪🇸 Cállate (カジャテ)

🇮🇹 Stai zitto (スタイズィット)

怒りモードでこの一言を面と向かって言われた直後に、

🇪🇸 amor, reina, estrella, mi vida

🇮🇹 amore, tesoro, la mia vita, cipollina

などと呼ばれても何も嬉しくないし、心は「❤️」に戻らない。

【思いやりと言語】
まだ異文化に慣れていない頃に、この『黙れ』を目の当たりにしていたら、私は「スペイン語やイタリア語は、思いやりに欠けている言語」と判断してしまうと思う。

しかし、今はこれが『言語の違い』だと知っている。

相手の気持ちを察して言葉を選び、行間を読みながら、共感や協調性を大切にする言語。

喜怒哀楽の感情を隠すことなくダイレクトに相手に伝え、愛の言葉も毎時間欠かさない言語。

ただ文法が違うだけではない。

本心を伝えるのが「思いやり」な言語があれば、相手の感じ方を第一に考えるのが「思いやり」な言語もある。

 

日本語以外で、会話やチャットをしながら「これ〇〇語でどう表現するだろう?」と思う回数が年々減っている。

スペイン人にはスペイン人向けの言葉で、

イタリア人にはイタリア人向けの言葉で、

日本人には、日本人向けの言葉で、

無意識的に伝えられるようになってきたのだと思う。ようやく。

【言語によって変わる口癖】
スペインでスペイン語を話している時、日本語では言わない次のフレーズを連呼してはいないだろうか?

・Vale. (分かった。)
・No pasa nada. (どうってことない。)
・Muy bien. (すごく良い。)
・Claro. (もちろん。)

イタリア語を話している時は、

・Va bene. (良いよ。)
・Boh. (ボッ)
・Tutto bene. (全部良い感じ。)
・Certo. (もちろん。)

反対に、現地生活が長くなるにつれ、日本語の「すみません」の使い方を外国語でしなくなっているだろう。口癖のように、悪くもないのに、謝る場面ではないのに、つい言ってしまう「すみません」と「ごめん」。

話せる言語が増えれば増えるほど、言語の切り替え以上に、文化の切り替えが大変になってくる。しかし、これに対応していくには慣れるしかない。慣れるものだから心配はいらない。

心と言葉と文化の結びつき。

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【700記事目】哲学的な10の質問

700本目は「哲学」について。スペイン語の脳ではなく、日本語の脳で考え、言葉にしてみる『哲学的な10の質問』⬇︎

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Q1. 人間の本質は善?悪?
善悪の基準や、人間の理性、善悪を判断する人の立場を考慮すると、答えるのが非常に難しい質問だからここでは「性善説」と「性悪説」のどちらを正しいと感じるか、を書く。

この場合、人間の本質は「悪」だと思う。そう考える主な3つの理由は、

(a) 道徳的に正しいこと、気遣い、思いやり、同情、共感は、経験と努力によって身につき、他者との関わりを通して磨いてゆくものだから。

(b) 人間は、自分の利益を求めるのが自然な生き物である。中には、その利益より、他者の幸せを優先する人がいるが、彼らは生まれながらにその判断力を持っているわけではない。これまでの経験を通して学んだ感情から、他者にとっての善を第一に考え、自らの利益を一致させられているから。

(c) 小さな子供が良い例。ごく自然に欲しいものを手にする。誰かのおもちゃを取ろうとしたり、噓をついたり。それを諭して、正しい道へ引っ張って行ってあげるのは、明らかに後天的な教育であるから。

性善説と性悪説は、視点が真逆なだけで、最終的なゴール (言っていること) は同じである。「善」を自己の中に見つけるか、自己の外の世界に見つけるか。

Q2. 正義 (人道に適っている正しいこと) は存在する?
トロッコ問題が分かりやすい例。「正義」も「平等」も存在しない。

大好きな人の1つの命

会ったこともない100人の100の命

どちらかを選び、救うなら?

私は一瞬も迷うことなく前者を選ぶ。

男女平等・生活保護・誰かの命を故意に奪った人へ部屋や食事を提供する刑務所…

どれも真の意味で「平等」ではない。「平等」がこの世界にどう存在しえるのか、私はまだ分からない。なぜ、平等であるべきなのか。どう、平等であれるのか。真の「平等」とは。

【イタリアの大学生活】この国の生活保護は平等か?公平か?

Q3. 死後の世界は存在する?
死は、次の「生」への待機/準備期間なのか。人間の想像をはるかに超える長さを持つ、本当の「生」の中のひとつのイベントに過ぎないのか。…知り得ないが、死後の世界は必ず存在すると思う。

Q4. 夢を叶えるのに「限界」は存在する?
私が例えば「アメリカの大統領になる」という夢を持ったら、この夢には限界がある。100%無理と言えよう。でも、この「アメリカの大統領になる」は私の夢になりえない。だから夢に対する限界はあるようで、実はない。個人が抱く『夢』は、それぞれの興味と関心から生まれる。それゆえ努力を重ねれば手が届く範囲内にあることが多い。

Q5. 神は存在する?
人類が考えられる「神」は、この宇宙の中の、ものすごく小さな存在なのだと思う。宗教も神様も、結局は『心の拠り所』。その存在が自分を支えてくれると感じるのであれば、それぞれが好きに、優劣をつけることなく自由に信じたいものを信じれば良い。でも、武力や暴力の使用を容認する思想や、その派のトップにいる神は、絶対におかしい。

Q6. 運命は存在する?
道で20セントを拾った時は「偶然」、人との出会いは「運命」と感じる。なぜだろう。

・20セント
・あの人

何が違うのだろう。

2021年1月26日午後3時48分に「アラゴ通り」の「233番地前」を歩いていなかったら出会えていなかったコイン。

2014年春にあの学校へ入学していなければ出会うことがなかったあの人。

2017年夏にあの場所へ足を運んでいなければ出会うことがなかったあの人たち。

2018年1月10日にこのブログを始めていなければ一度もお互いの存在を知ることなく今日も普通に生きていた私たち。

生まれるのがもう100年早かったら、遅かったら、かすりさえしていない人生たち。

 

 

『出会えて良かった』という気持ちが大きくなるほど、その出会いを偶然ではなく、必然と捉え、心に刻みたいのだと思う。一種の愛が「運命」を確かなものにしているのかな。

Q7. 愛とは?
自らの在り方の道しるべのようなもの。お互いの世界をさらに色づかせるもの。惜しみなく与えたくなる気持ち。

「愛」という漢字から派生するいくつかの動詞の中で、意味的に最も好きなのは「愛でる」。

Q8. 哲学は何のためになる?
一言で言うと、無知の知を自覚する学問。哲学に触れたことのない人生は、2D。哲学の面白さに気づいた人生は、3D。

哲学者たちの思考回路は、人一倍ユニークで、どんなテーマについても興味を持って楽しく深く対話を行える。

『哲学をして何の役に立つ?』という質問はナンセンス。浅すぎる。考えるのが好きな人のためのもの。直接的な利を求める人には不向きであろう。

Q9. 自分自身を知ることは可能なのか?
"Nada más lejano que uno mismo" (この世で最も遠い存在は、自分自身) という格言があるように、自分自身を知るのは容易なことではないらしい。

自分の好きな…食べ物、季節、色、ブランド、スポーツ、言葉、国、学問、動物、タイプを理解しているだけでは「自分自身を知っている」とは言えない。

『この人は自分自身をよく理解している人だな』と客観的に感じる相手は、

・抱く感情や、思考 (特にネガティブなもの) を上手くコントロールしている
・いつも楽しそう、幸せそう

楽天主義者であるから「幸せそう」。悲観主義者であるから「楽しくなさそう」というわけではない。もし、物事をネガティブに捉えてしまう性格を改善したいのであれば、プラス思考の人たちと多く関わるのが良い。もし、それをマイナスに捉えていないのであれば、今のまま在り続ければ良いと思う。

「自分自身を知る方法」は、たくさんある。その中でも、私は、いつもそばにいてくれている友達や仲間を見る方法が最も好き。『類は友を呼ぶ』という言葉通り、気の合う者同士には、共通点がある。気づいていないかもしれないけど、自分もその要素を持っている。近くにいる人たちは、自分を写す鏡である。優しさ、正直さ、誠実さ、真面目さ、不真面目さ、面白さ、まっすぐさ、熱さ、適当さ、雑さ、冷たさ…。

Q10. 生きる意味とは?
「生」の区切りに達する日、その意味を心から語れるように。自分を大切に思ってくれる人たちの命が重みを増すように。

最近、道を歩いている時、あと一秒早く一歩を踏み出していたら、間違いなく命を落としていた出来事があった。少し薄暗くなった夕方の時間帯、見たことがないほど速いスピードの電動キックボードが歩道を左から右へ横断した。

その瞬間、真っ先に頭を過ぎったのは「危ない!」ではなく「まだ死ねない」だった。もし今、家族や好きな人たちに何も言えないまま、任されている仕事も放置したまま、いきなりこの世界から姿を消したら、多くの人を悲しませたり、困らせたりする。「自分が幸せにすべき人たちに」やり残したことがない状態で、この人生の最終日を迎えたいと思った。

その時、「生きる意味」が分かった気がした。

 

 

【〇〇観】
25歳は、いろんな〇〇観について口を開いた。

人生観、価値観、世界観、仕事観、恋愛観。

前回、600記事目の最後には『お金の価値観』について書いたから、今回は、おとといカタルーニャ広場で日向ぼっこをしながら考えた『子供とお金』について。

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ある晴れた冬の日、ベンチに座ってのんびり話をした。その途中、私は可愛い可愛い赤ちゃんのお父さんとお母さん (36歳) に『将来、この子に兄弟は考えてるの?』と聞いた。

すると、二人とも首を横に振った。

「子育ては大変だし、何よりお金がかかる」と。

(え…!こんなに可愛いのに…。)

そして、自分だったらどうだろう…と考えた。将来、旦那さんと『子供をもう1人持つか』の相談をする時、

仕事の大変さ
子育ての大変さ
生活の大変さ
金銭的な大変さ

が「子供は1人で良い」の理由にならないと思った。先日書いた下の記事の考え方と似ているが、お金も時間的な余裕も、作れるものだから。…何より、「あんなに可愛い子がもう1人生まれてきてくれること」に勝る『マイナスな理由』が思いつかない。ものすごく可愛い…。

子育ての大変さは、自分だけでカバーできなければ夫婦で協力する。それでも難しい場合は、家族の協力を得る。お金も同じで、二人で働けば良い。職種は問わない。どうにでもお金は作れる。もう1人可愛い我が子が増えるなら、喜んで一生懸命働く。

子育てを「大変」と感じない自信がある。

結婚相手とは、ここの価値観も一致している必要があるんだな、と学んだ。この2人は、ここもぴったり合っているんだな、と感心した。

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【蛇足】
会員制のブログの記事数もカウントすると…ちょうど800本目だった。

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【時間と機会】作るものか、待つものか。

「時間が合えば」「機会があれば」

果たして…

時間と機会は作るものなのか。はたまた待つものなのか。

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【〇〇があれば】
言語を問わず、日常でこの2フレーズを使う時は、

・時間が合えば…
・機会があれば…

だいたい遠回しに何かを断っている。「行けたら行くわ」の、行かない確率が高いのと似ている。

私の前向き度は、

「行けたら行くわ」0%
「時間が合えば」20%
「機会があれば」50%

食事、会う約束、仕事、
資格取得、学校、旅行

スケジュールが詰まっていたとしても、会いたければ、一緒に仕事がしたければ、空いている日時を複数提示する。それが難しくても、どうにか必ず時間を作る。お金も無かったら、作る。いずれも「できない」の理由にはなり得ない。

機会も、自ら作るものだと考える。誰かとの約束も、会社との契約も。自分から動けば「待っている間」に、数本取れる。

相手から『ちょっと都合がつきそうにない』と言われたら、前向きに考えてもらえていないのだと判断する。『ちょっとその日は都合がつきそうにないけど…〇〇日はどう?』と言ってもらえたら、その日に合わせられるように予定調整を試みる。そして、実現させる。

【機会と備え】
しかし、機会に限っては、時に待つ方が良いこともある。

『待つ』より、『機会に向けて備える』でありたいと思う。チャンスがやってきた時に準備万端でいられるように。何においても言えることだが、準備が不十分であれば、相応しいレベルに達していなければ、せっかく機会が舞い込んで来ても、あっという間に自分の元から離れていってしまう。

【機会は平等にやってくるか】
私は平等にやってくると考える。例えば、100人が全員同じように努力をして、自ら行動を起こせば、機会は全員に平等にやってくるだろう。

何もない部屋の中でボーッとしていたら機会は得られない。しかし、パソコンが一台あれば話は変わる。

パソコンがある時点で、それはチャンス。そのチャンスをどう生かして、次なる機会に繋げるか。

この、チャンスを繋げる箇所に個人差がある。だから「機会は平等にやってこない」と言う人がいるが、実はそうではない。

パソコンはないが、自転車を持っている人。

仕事はないが、誰からも愛される性格の人。

英語は話せないが、常に健康な人。

高学歴だが、人脈がない人。

お金はないが、時間はある人。

お金はあるが、娯楽の時間がゼロな人。

チャンスはあちこちに散らばっている。

気づくか気づかないか。

掴めるか掴めないか。

使うか使わないか。

【スペインと日本の機会の数】
「海外の方がチャンスが多そう。」「日本にいてもやりたいことがない。とりあえず海外に行けば見つかるだろう。」という類いの言葉を私はよく聞く。

だが、機会の数は、日本と同じである。

「スペイン」に来て変わるのは、言語・文化・習慣と、自分が『外国人』として見られるようになることくらいで、思い描くほど華やかな特別な空間が広がっているわけではない。

『成功』や『幸せ』は、場所を選ばない。

日本で人から好かれる人は、スペインでも多くの人から信頼を得る。日本でひたむきに努力をしてきた人は、スペインでも頑張れる。

ただひとつ、「日本にいる時のままではいけない」「意識的に変えなければならない」と思うのは、『自分から動く力』。今、スペインにいる人は自分から動かなければ何も始まらないという言葉の本意を知っているだろう。

 

【時間=命】
80歳まで生きるとすれば、どれくらいの時間が残っているか。

70万800時間

今日からあと5年で命が終わるとすれば、

残り4万3800時間

時間 = 命。『時間をかける = 命をかけて捧げる』くらいの気持ちで、2021年も毎日大事に過ごしていきたい。

いつか、この限られた残りの時間を「使いたい人」と「使いたいこと」に1秒でも多くかけられるように。時に苦しい勉強、仕事、自粛生活、みんなそれぞれ頑張ろう。

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【直観と相性】自分に合うと感じる人が持つ共通項

この人いいな、長い付き合いになりそうだな。

この人とはもう会うことがないだろうな。

直観的に感じる「自分に合う人・合わない人」に共通する要素って何だろう。

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第一印象で相手の性格や人柄を決めつけることはしないが、私は『初めまして』の場面でいつも無意識的かつ直観的に「合う」か「合わない」かを判断している気がする。それは性別や出会い方 (学校/仕事/紹介など) によるものではない。

必ずしも「合う」=「好き」ではない点、特別な何かを感じなくてもお互いを分かり合え、仲良くなれる点も興味深い。

「合わない」からと言って、その人が悪く見えるわけでも、魅力を感じないわけでもない。ただ、

・心がどこか落ち着かない
・何かが噛み合っていない
・何かが「違う」気がする

 

【居心地が良い相手】
一般的に、次の要素を持った相手と関わる時、人は居心地の良さを感じると言われている。

・馴染みやすい
・好みや考え方が似ている
・思いつく意見やアイデアが似ている
・何かが起こった時に似た行動を取る
・気持ちや考えを理解し合える
・例外なく尊重し合える

【関連づけると面白いビデオ】
このテーマに関連づけると面白いと思うビデオは、VOGUE JAPAN (ヴォーグジャパン) が2019年3月に公開した「自分の理想に限りなく近い人が目の前に現れたら、必ず恋に落ちるのか」。これを見ると、自分の中にある意識的な「理想」と、直観的な「理想」が異なることがよく分かる。「あ、この人!」という直観は本当に存在すると思う。

きっと、20歳前後の頃にこのビデオを見ていたら、今ほど上手く内容を理解できていないはず。

個人的に…

【合うと感じる人】
友達関係で「合う」と感じる人が持っている共通項を3つ挙げるとすれば、

① 笑いのツボが同じ

② 話のテンポが似ている

③ 一緒にいて気持ちが楽

仕事関係では、

① 仕事にやりがいを感じている
➡︎ 自身の労働時間より、第一にお客様のことを考えている+今就いている仕事が好き。

② 機転が利く
➡︎ どんな時も自ら快く臨機応変に動いてくれる+先見力を持っている人。

③ タスク管理が上手い
➡︎ 優先順位をつけるのが上手く、仕事を溜めない人。 

 

異性として見るなら、

① 喜怒哀楽善悪のポイントが同じ
➡︎ 感性と倫理。

② 大切にしているものが似ている
➡︎ 存在、モノ、夢、信頼、人としての在り方など。ここが合う人とは、考え方だけでなく、お金や時間の使い方も似ている。下の記事の最後に書いたように、どこにお金をかけられるか、かけたいか。反対に、何に対しては、無駄遣いを慎むか。

③ 立ち振る舞いが似ている
➡︎ 面接官のように、いちいちチェックをすることはないが、態度、姿勢、マナー、言葉遣い、身だしなみ、気遣いが似ていると、親近感を抱きやすい。

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後半に挙げた「喜怒哀楽善悪のポイント」と「大切にしているもの」以外の項目は、いずれも1回の会話でだいたい分かる。

【おまけ: 直観と直感の違い】
日本語で、直観と直感は同音意義語であるが、使い分けをしている人は少ない。

私は「あ、この人合うな」「この場所なんか好きだな」という場面では『直観』の方の漢字を用いる。よく似た言葉だが、違いを簡潔に説明すると、

直観: 対象となるものや人の本質と自分の心が合う

直感: 勘の一種で感覚的に合う

スペイン語で、『直観』は、intuición (イントゥイシオン)。西洋哲学で頻繁に登場する。語源は、ラテン語の動詞 "intueri" (目を凝らして見る) である。この単語を分解していくと言葉が持つ本来の意味が見えてくる。

in-tuteri

in: 内面で

tuteri: 違いをじっくり見て考える

要するに『直観』は、表面的な見た目や雰囲気から生じる相性/判断ではなく、自分の内面が、心が、相手/対象の本質を瞬時に読む頭の動きを指す。

『自分の心』と『相手/対象の本質』のピースがぴったりはまった時、人は「自分に合う」と感じるのだろう。

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【したことリスト】日本一時帰国からスペインへ戻る前の最終週

夏休みを日本で過ごし、またヨーロッパに戻る前、どんな1週間の過ごし方をするのか。しばらく日本に帰らない前提の留学の場合、何をしておかなければならないのだろう?…参考までに、25歳の夏の記録を。(家族との時間、仕事、勉強、友達との再会、家探し、試験を除く内容。)

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【したことリスト】
金曜日 (出発7日前)
・歯医者さん
・荷造り

親知らずの時からお世話になっている歯医者さんへ行き、検診+クリーニング。ちなみに25年間、虫歯はゼロ。このままキープし続ける。

土曜日 (出発6日前)
・健康診断
・眼鏡屋さん
・本屋さん
・車屋さん

初めての本格的な健康診断。スペインでは、受ける機会が全くない。悪いところはないのかな…?と少し不安を感じ、自主的に。身体測定 (身長・体重・BMI・血圧・視力・聴力・尿検査・腹囲)、血液検査 (血液一般・脂質・肝機能・腎機能・血糖)、胸部X線検査 (レントゲン)、心電図検査。所要時間約60分のはずが、朝からお昼過ぎまでかかった。視力以外は、オールAだった。良かった。

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視力が激しく低下していることを知り、眼鏡市場へ直行。眼鏡をかけても視力検査で出る数値は変わらず…高校生の頃に調節したきりだったレンズを交換することに。一律2枚1組11880円。見える世界の色が鮮やかになった。でも、度がきつくなってしまったから、かけて歩くと少し酔う。

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何より検査に感動した。人の見えている世界が正確に測れるなんて。当たり前かもしれないが、改めて考えるとすごいこと。

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レンズが完成するまでの時間は、近くの本屋さんで過ごした。

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日曜日 (出発5日前)
・荷造り
・名刺のデザインを考える

 

月曜日 (出発4日前)
・東京へ
・スペイン大使館にてビザの受け取り
・時計屋さん
・雑貨屋さん

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時計のベルトを調節してもらった。

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ようやく見つけた、好きなシリーズの2021年ver.手帳。

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火曜日 (出発3日前)
・革ジャン修理の引き取り
・靴屋さん
・服屋さん
・庭の木々の剪定

数週間前から革ジャンの裏地の全取り換え修理をお願いしていた。出発日に間に合うように急いでくれた上、綺麗な完璧な仕上がりに…!

8年くらい着ているお気に入りの革ジャンの裏地が劣化していたため、直してくれる仕立屋さんを探した。レザー修理の難しさと、購入時より高額になる点が予想外だった。新しい革ジャンを買おうかとも思ったが、サイズがぴったり+種類と形の好みがこれを上回るものに出会えず…。5万円以上かかったとしても直して、もっと長く着ることにした。

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日本で毎年必ず買って帰る衣服は、ズボンと冬用の肌着。スペインのレディースは、股下の深さがちょっと…。肌着も…袖の長さと丈の長さの比率が…。(袖が長くて、丈が異様に短い服が多いため、日本で着慣れたブランドのものを購入。)

水曜日 (出発2日前)
・航空券の変更手続き
・色々な書類の印刷
・庭の木々の剪定の残り
・洗車

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木曜日 (出発1日前)
・スペインに持って帰る食品の買い出し
・名刺のデザイン最終決定と印刷
スペイン入国時の申告書記入
・3食どれも好きな日本食
・飛行機のオンラインチェックイン

マイブームは、タリーズの『宇治抹茶ラテのタピオカ』だった。何杯飲んだことか…。

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名刺が完成した。

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金曜日 (出発当日前)
・最終買い物

・最終外食
・バルセロナ大学授業登録 (オンライン)
・荷物の重さのチェック
・忘れ物はないかチェック
・最後にもう一度お風呂

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【おまけ: 25歳という節目】
今年の夏、嬉しいことがたくさんあった。そのうちのひとつは、2020年8月21日に母が時計を贈ってくれたこと。

去年の秋から岡山の天満屋のところにカルティエのウォッチブティックがオープンしているから一緒にそこへ行き、選んだ。

私の母が昔からずっと身につけている時計は、祖母がプレゼントしたもの。…だから私も将来、自分の子供に時計を贈る。

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これから共に時を刻んでいく。

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【遠く離れた異国の地】笑いのツボが同じ人に出会えるのか。

言葉も文化も違う遠く離れた異国の地で、笑いのツボが同じ人に出会えるものなのか。

今日までの6年半の海外生活の中で、私は2人。100点満点と言えるほどユーモアセンスがぴったりな人と出会うことが出来た。一緒にいると常に笑いが絶えない。

日本にいる面白い親友たちと同じ感覚。

ただ、話す言語が日本語ではないだけ。でも、よくよく考えると不思議な気分になる。20年以上、異なる国で生きてきた者同士が、涙が出るほど、息が苦しくなるほど笑い合えるだなんて。

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【確率は低いのか】
育った環境や国が異なったとしても、同じものに対して『面白い』と思える人は、やはり存在する。そのような相手と過ごす時間は、とにかく楽しい。話題がどんどん広がり、話が尽きることはない。

バルセロナに来て以降と、それ以前の同じ期間「6年半」を比較した時、

2014年3月から2020年10月 (6年半)
➡︎ 18歳〜25歳

2008年9月から2014年3月 (6年半)
➡︎ 13歳〜18歳

私は…『日本でも海外でも、笑いのツボが同じ人に出会う確率は同じ』で、縁だと思う。

中学から高校にかけては、クラスがあって、学年があって、部活があって、遠征や練習試合で仲良くなった他校・他県の子がいて、先輩や後輩の友達とも仲良くさせてもらって、…様々な出会いがあった。

バルセロナに来てからも、語学学校で何度もクラスが変わって、課外授業で仲良くなった子もいて、別の学校にも通い始め、大学生になり、活動の幅を広げ、イタリアにも住み始め、…1回目の人生とは思えないほど多くの人と関われた。

18歳以降は、学校行事 (文化祭や体育祭など) がないため「用意された仲良くなる機会」が極端に減ったものの、1人1人と過ごす時間 (回数) が増えたから、親しくなった人の数に大差がないのだろう。

【高い語力は必要か】
異国の地で、笑いをシェアできるレベルの関係性を築くのには、かなり高い言語力が必要な気がする。しかし実際は、そうとも限らない。

・一言で笑わせられる。
・視線だけで笑い合えることもある。
・言語以上にセンスが合うかどうか。
・話すテンポとタイミング。

日本語でも、普段の生活の中で友達や家族と笑い合うのに「巧みな話術」や「語彙力」は、あまり重要な要素にならない。何語でもそれは同じ。

【私の好きな2人】
記事の最初に書いた『笑いのツボが合う2人』は、どちらもイタリア人。このブログ内で何度か名前や写真を出したことがある。

 

【LETIZIA】
イタリア人の女の子。出会ったのは、カラブリア生活開始から数日後の2017年11月。

私が一人暮らしをしているイタリアの家に水道屋さんが来てくれた日、レティツィアに「お風呂場の水道がまた壊れてさ、今来てくれたからまたね!」と返信メッセージを送った。

それから2週間も経たない間にまたしても水道の調子が悪くなり、再度、修理に。3度目の日、ちょうどレティツィアから電話がかかってきていて、会話の途中でインターフォンが鳴った。いつものおじさんが『修理に参りました!』と。それを電話越しに聞いたレティツィアはイタリア語で…

レ『え?また壊れたの?』

私「そう、チューブを替えた方が良いらしい」

レ『いや、水道屋さんを変えるべきでしょ』

私「(笑) 言えとるかも」

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「イタリアの生パスタは、茹で時間が書いてある場所を探すのが毎回大変」と呟くと、『パスタは心で茹でるもの』と返してくれるタイプの子。

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【DAVIDE】
イタリア人の男の子。出会ったのは、バルセロナ生活開始から数日後の2014年4月。

カメラマンだから高価かつ高質なカメラを何十台も持っている。シャッターを切る瞬間と編集時間を除いて、ずっとジョークを言っている陽気な性格。旅行の時には、大きなカメラ用のリュックに、3-4台、機材もレンズも綺麗に詰めて持ってくる。マミヤのフィルムカメラ、チェキ、キャノンの一眼レフ、光学式と電子式が切り替えられる富士フィルムのデジカメ、ライカ…。

ある日、首や肩からカメラ数台を下げ、隣を歩いている時、ダビデの足が止まった。被写体を見つけたのだと思い、顔を見た。私は笑った。そしてスペイン語で、

「…だび!(笑) それだけ良いカメラがいっぱいあるのにさ、さっきからiPhoneでしか撮ってないじゃん(笑)」

と言った。これが通じる相手。確かにと言わんばかりに自分でも笑いが止まらない。

話す言語は、スペイン語かイタリア語だけど、私の中では、素の状態で (日本の方言で) 話している気分。「めっちゃええカメラ持っとんのんさ、iPhoneでしか撮んじょらへんやん(笑)」って突っ込んだつもり。(この記事を読んでくださっている人の中で、讃岐弁に聞き覚えがある人はどれくらいいるだろう…。)

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『ベジタリアンになったよ!』と言われた日、お昼に行った韓国料理店で私の真似をしてビビンバに生卵を割り落としていた。

私「…卵は、セーフなん?(笑)」

ダ『(笑)』

 

生き物の命の尊さを熱く語っている最中に、家の中に入り込んだ一匹の厄介な蚊を真剣な眼差しで追いかけ始めた時も面白かった。両手でパンっとで叩いた直後、

私「(笑) 蚊の命は…?」

ダビデ『(笑)』

こういうエピソードがたくさんある。

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(左から母、弟、Tくん、祖父母)

私の家族との相性も最高に良いこの2人。ダビデと母はやっと去年、念願の対面を果たした。共通言語がないから私が随時、通訳をする形だったが、それでもリビングで2人して床に倒れこんで笑うこともあったほど、楽しい時間を共有していた。レティツィアの話も、よく家族とシェアしているが、その度に、弟も母も爆笑する。いつかみんなが直接顔を合わせる日が楽しみ。

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